真珠湾攻撃 
―映画「PEARL HARBOR」―

2001年6月執筆

5月21日(日本時間では22日)、米映画の今年最大の話題作といわれる映画が完成、ハワイ・真珠湾に停泊する米空母「ジョン・C・ステニス」艦上※1で試写会が開かれた。 製作費200億円をかけた超大作映画、それが、「PEARL HARBOR」(製作:ジェリー・ブラッカイマー、監督:マイケル・ベイ)である。

大日本帝国海軍による真珠湾攻撃が、現代のデジタル技術によって見事に再現され、華麗に空中を舞うゼロ戦が、無情にも米国海軍を容赦なく襲う。加えて、戦闘機パイロットと従軍看護婦のラブロマンスが見所と評されているが、果たして真実は・・・。

試写会が行われたのはハワイ・オアフ島の真珠湾に浮かぶ空母の上だが、その近海にはいまだ、今年2月10日に米原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、沈没した実習船「えひめ丸」とその乗員・実習生が多数沈んでいる。また、試写会も半端では無く、約500万ドル(約6億1000万円)をかけたといわれる超豪華試写会には、監督、出演者はもちろんのこと、真珠湾攻撃生き残りの元米兵、米海・空軍の現役将兵ら2000人が招かれた。テレビ各局も生中継し、25日の劇場公開を前に随分と雰囲気を盛り上げた。しかし、えひめ丸衝突事故と関連づけて報じられるのではないか、との懸念のため、一部を除く日本のメディアはシャットアウトされるという事態も生じた。

映画を製作したディズニー側は、「映画はアクションロマンスであって、反日感情はない」としているが、全米の公開日は戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)にあたる5月28日直前の25日(三連休の前日)からと観客を煽るには十分な日程設定であった(日本では7月14日からの公開)。

雑誌やTVでも「これでもか!」と言わんばかりに特集を組んだ。中でも米誌「ピープル」では、8ページに及ぶ真珠湾生存者達の特集記事を掲載するほどの熱の入れようであった。当然のようにテレビ各局は「パール・ハーバー」特別番組を企画し、ケーブル・テレビ のヒストリーチャンネルは延々と真珠湾攻撃に関する番組を放映した。面白かったと感じたのは「Hollywood vs. History」と題したものであった。それは数人の真珠湾生存者と司会者が、映画と現実に起きたことに関して質疑応答するという番組であった。印象的であったのは、最後に司会者が、「この映画は、歴史ですか、それともハリウッドですか?」と尋ね、2人が「半々だ」と答え、2人が「ほとんど、ハリウッドだね」と答え、そして、1人が「完全にハリウッドだよ」と答えたことだった。その答えが、この映画の真実なのか?

しかしながら、「真珠湾の後、幾多の戦線を勝ち進み、硫黄島を占領し、そこを拠点に最後には勝利したんだゾ!」と連日連夜放映されると米国在住の日本人としては、はっきり言ってあまりいい気はしない。また、硫黄島に星条旗が掲げられるその瞬間を何度見させられたことか(また、それを幾度となくリプレーしてみたり、スローモーションにしてみたりと...)、それこそ真珠湾攻撃のシーンよりも遥かに多かった。もちろん、そのときも硫黄島の生存者が登場し「あの戦いは凄かった」と親切丁寧に振り返ってくれるのである。もう、それだけでこっちは、お腹が一杯である。

そう、こうしている内に封切後の話が耳に入ってきた。「真珠湾攻撃の最中、主人公と親友2人が、何とかMUSTANG※2に乗り込み、ゼロ戦を撃墜するたびに、館内でドッと拍手がわき起こる」。或いは、「戦闘シーンが始まると、興奮した観客が、勢い余って失神し、救急車で運ばれる事態が起き、映画が中止になりチケットの払い戻しがされた」などなど。評判は上々?であった。

先日、私も、ついにと言うか、やっとと言うか、映画館に足を運んだ。一段落付いてから行ったこともあり、拍手する人や気絶する人もいなかった。もっとも、あの映画で拍手する気には毛頭なれないが...。それが、ゼロ戦が米国軍艦を攻撃していた時でも、もちろん、ゼロ戦が墜落する時にでも拍手する気には、なれなかった。一部の報道では、「戦争映画らしくない(惨いシーンが少ない)」とか「歴史的事実が少なすぎる」と言った趣旨の報道もなされてはいたが、私にとっては、充分すぎるほど惨い映画であった。

もちろん、アクションロマンスを自称するだけあって、ほのぼのとしたシーンもたくさんあった。しかし、この映画を観て戦争がいいものである、と感じる人は誰一人としていないだろう。作品の良し悪しは別にして、それだけでもこの映画には意義があると思われる。

作品に関して若干コメントをするとすれば(これから観る人もいると思うので内容にはできるだけ触れません)、さすが、「アルマゲドン」のチームによる映画だけあって、そのデジタル技術には唸らされた。W.W..時の名機、英国のSPITFIRE※3、米国のMUSTANG、そして、日本のゼロ戦がスクリーン狭し、と滑空する姿は圧巻である。そこで、人が死ななければもっと良いのであるが...。

また、主人公が、ヒロインに「真珠湾の夕日は見たことある?」と尋ね。彼女が「もちろんあるわよ」と返答すると、「空からは?」と言い、「憲兵に見つかったらただじゃすまないよ」と言いながらも操縦席に乗せ、夕刻の空を楽しむシーンなどは、私が、もし飛行機乗りであれば、一度はやってみたいと思いながら観ていた(本当は、その後に、そんなの憲兵に見つかったらもっとやばいんじゃないの?というシーンも出てくるが、それは是非、映画館で)。

真珠湾攻撃に関しては、いくつもの謎がある。この映画ではそれらの幾つかではあるが、明確に述べている部分が有る。例えば、「謎@:ルーズヴェルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた」。劇中では、ルーズヴェルトは、最後まで真珠湾攻撃のことを知らなかったと描かれている。しかし、一方で日本軍の暗号は、既に米国側に解読されており、米国は事前に真珠湾攻撃を察知していた、或いは、チャーチルが察知し、彼に通知していた、など諸説ある。6月4日号のタイム誌では、「日本の暗号は既に解読されており、ルーズヴェルトは真珠湾攻撃が行われることを知っていたはずである。にもかかわらず、彼は対処しなかった」と報じている。

当時、真珠湾に停泊しているはずであった航空母艦レキシントン、エンタープライズ、ウェーキは、いずれも停泊しておらず、停泊していたものは主なもので戦艦アリゾナ、オクラホマ、ウェスト・ヴァージニア、カリフォルニア、ネバダ、テネシー、メリーランド、ペンシルヴェニアの8隻、重巡洋艦ニューオリンズ、軽巡洋艦ローリ、ホノルル、ヘレナの3隻、そして、駆逐艦ショー、カシン、ダウンズ、オグララ、ドッグの5隻総計17隻で、被害を受けた艦船は、1910~20年代に就任した旧式艦ばかりであった。そこで出てくるのが、近代戦において重要な役割を果たす空母だけを事前に逃がしていた。つまり、米国は真珠湾攻撃を事前に察知していた、という説が出てくるわけである。しかし、謎は謎のままである。

「謎A:真珠湾攻撃の不徹底」がある。実際、真珠湾攻撃は成功していると思っている人はたくさんいるであろう。また、この映画でも大成功、と描かれている。しかしながら、実際は、真珠湾攻撃は大成功と言えるほどの戦果はあげていない。第一に、陸上施設への攻撃がなされていないことである。ハワイの燃料タンクに貯蔵されていた450万バレルの重油を爆撃していれば、戦況は随分と変わったはずである。しかし、陸上施設にはほとんど手を触れていないのである。第二に、第三次攻撃の中止が上げられる。一説によると、第三次攻撃隊の準備は完了したが、山本五十六がその必要性を認めず、中止した、と言われている。劇中でも将官らしき人物が、「第三次攻撃隊の準備が完了しましたが、どうしますか?」と尋ねるシーンがある。そこで山本五十六役を演じるMAKOが「もう奇襲ではなくなったのでやめにしよう」(恐らく、奇襲でないものは真珠湾攻撃にあらず、と描きたかったのであろう)と答えていた。私は、“それは、ないだろう”と思って観ていたが、これも本当は、謎のままである。

このような歴史認識が交錯するテーマを描くときには、必ずその歴史観に対して論争が起きる。では、なぜそのような事態が生じるのか、答えは簡単である。一方の立場だけでものを作るからである。先日、日本でも話題になっていた歴史教科書もその典型的な例といえる。一方的な議論は、非生産的である、と私は考える。ドイツでは、ポーランドなど他国の学者たちと共同チームを編成し、歴史調査をするなどし、歴史教科書問題の解決を図っている。結局、相手との共同作業が無い限り、いいものは作れないのではないだろうか。日本も韓国や中国、そして、その他の東南アジア諸国と共同で作業をし、新たな歴史認識を構築すれば、戦後、幾度となく続いてきたこの無限地獄に終止符を打てるのではないだろうか。

この映画を語るときでも「何で今時こんな映画を作ったのでしょう」と米国の国防関係者などに尋ねると、「じゃ、君は『PRIDE』※4は観たか」と必ず聞かれる。これは、東條英機を主役に据えて東京裁判を描いた映画である。結局、こうなってしまうのである、水掛け論に等しい。だから、映画などもそれぞれの立場を主張するだけでなく、合同でドンドンと作るべきだと思う。ベトナム人と米国人が共同で作るベトナム戦争映画などがあれば、どんなに興味深いことか。その点、「TORA!TORA!TORA!」※5が、未だに高い評価を得るのは、その点にあるのではないだろうか。ある米国人が「あの映画は公平だ、両方の国の人たちで作っている」と私に言った、それは至極真っ当な意見だと思う。  「PEARL HARBOR」では、「TORA!TORA!TORA!」で描かれたような奇妙な戦艦やゼロ戦は決して出てこない。そのような視点で見れば、「PEARL HARBOR」は、技術的には明らかに「TORA!TORA!TORA!」を上回っている、と言える。しかし、それは特撮技術にしかすぎない。本質的な映画の評価は、その技術力ではなく、何をどのように描いたか、にあるのではなかろうか。「PEARL HARBOR」にもたくさんの日本のスタッフが入っていれば、もっと魅力的な映画になったに違いない。今後そのような映画が、登場するのを期待したいものである。

ところで、米国に来て(他の国に行った時もしばしばされたが、)色々な人に山本大将とは関係があるのか、親戚か、或いは、彼の孫か、などという奇妙な質問を受けるときがある。恐らくであるが、“日本のことを多少は知っているよ”、という好意の表れであるとは思うが(まさか、本気で思っているとも考えられない)、そのような質問をしていた、彼らたちは、この映画を観て誰が、山本五十六役なのか分ったのだろうか。


2001年6月執筆

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