自民党政策の検証

自由民主党政策の検証
(1955年〜2009年)

h2 head

【第一版】

平成23年5月26日

自由民主党神奈川県支部連合会 国政調査会


自由民主党神奈川県支部連合会
「国政調査会」

おこのぎ八郎神奈川第3選挙区(横浜市鶴見・神奈川区)
支部長 おこのぎ八郎(国政調査会 会長)

山本ともひろ神奈川第4選挙区(横浜市栄区・鎌倉市・逗子市・葉山町)
支部長 山本ともひろ

さかい 学神奈川第5選挙区(横浜市戸塚・泉・瀬谷区)
支部長 さかい 学

鈴木けいすけ神奈川第7選挙区(横浜市港北・都筑区)
支部長 鈴木けいすけ

ふくだ峰之神奈川第8選挙区(横浜市緑・青葉区)
支部長 ふくだ峰之

中山のりひろ神奈川第9選挙区(川崎市多摩・麻生区)
支部長 中山のりひろ

星野つよし神奈川第12選挙区(藤沢市・寒川町)
支部長 星野つよし

あかま二郎神奈川第14選挙区(相模原市(旧津久井郡と南部一部を除く))
支部長 あかま二郎

牧島かれん神奈川第17選挙区(小田原・秦野・南足柄市、足柄上・下郡)
支部長 牧島かれん

やまぎわ大志郎神奈川第18選挙区(川崎市高津・宮前区)
支部長 やまぎわ大志郎

(選挙区順)


第1章 国と地方の関係

I.地方分権

II.市町村合併

III.三位一体改革

第2章 社会保障制度

I.国民皆保険

II.国民年金

II.障害者自立支援

IV.介護保険

V.労働者派遣の規制緩和

第3章 社会資本整備

空港整備/港湾整備/道路整備

第4章 外交・安全保障

日米安全保障/非核三原則

第5章 競争のルール

自由競争/規制緩和路線

第6章 教 育

新教育基本法


はじめに

自由民主党は昭和30年保守合同によって結党され、わずかな時期を除き、戦後一貫し与党として政策の実現を行ってきた。東西冷戦の時代から、高度経済成長期、バブル期、失われた10年、時代の変化の中で、唯一の国民政党として、時代を牽引してきたことは間違いない。国民健康保険制度、国民年金制度、日米安保体制等、「自助・共助・公助」を中心にすえた自民党の根本的な政策は、戦後の発展に寄与してきた。

しかし、結党以来、最大の課題である自主憲法制定を成し遂げることができなかった。また、平成21年の総選挙という国民の民意により、野党に転落し、自民党の政策、自民党の姿に「NO」を突きつけられている。野党に転落したにも係らず、「真の野党」に成りきれず、自民党に対する支持はいまだに低迷している。

真の野党になり、国民から「野党・自民党はしっかりやっている」という評価を得ない限り、与党に復帰することはありえない。自民党への信頼を呼び戻すためにも、過去の自民党の政策を検証する必要がある。結果として、良かった政策、失敗した政策を冷静に分析し、自民党が事業評価を自ら厳しい目で行うことが必要である。

「解党的出直し」とは、過去を検証し、間違ったことは間違ったと認め、正しかったことは正しかったと主張する。そこからしか、始められない。与党として政策を具現化してきた故に失敗も存在する。しかし、その失敗が糧となり、新たな時代をつくる材料にもなる。過去を清算することは、ある時代に国の為に努力を積み重ねてきた先輩を批判することに繋がるかもしれない。しかし、それを恐れていたのでは、自民党の再生は不可能となり、解体するしかないことになる。

自民党は「真の保守政党」として、果たすべき役割がまだまだある。「かながわ自民党」から、新しい自民党をつくる、大きな流れを起こしていきたい。

第1章---国と地方の関係

I.「地方分権」

1.「地方分権」とは何か

主権を中央政府から地方自治体へ移譲すること。

日本は、中央集権体制の下、経済復興を成し遂げ、世界有数の経済大国となった。地方自治体は、国全体が豊かになったために、中央集権体制に異論を唱えなかった。しかし、高度経済成長期が終わり、バブルが崩壊すると共に、地方の疲弊が生じ、中央集権体制に不信感が高まっていった。そうした中、平成5年「地方分権の推進に関する決議」が衆・参議院で可決される。平成7年「地方分権推進法」が制定され、地方分権推進委員会が発足。機関委任事務制度の廃止、事務区分、国と地方の調整ルール等の勧告を受ける。平成10年「地方分権推進計画」、平成11年「第二次地方分権推進計画」が閣議決定される。平成11年「地方分権一括法」が成立し、平成13年地方分権改革推進会議が発足する。平成14年「骨太の方針2002」が閣議決定され、補助金・地方交付税・税源移譲の三位一体改革が始まる。平成17年、第28次地方制度調査会が「地方の自主性・自立性の拡大及び地方議会のあり方」、平成18年「道州制のあり方」を答申する。同年「地方分権改革推進法」が成立し、地方分権改革推進委員会が発足する。

2.「地方分権」の評価

国が果たすべきナショナルミニマムを効率よく早期に達成するため、国家目標をかかげ経済を発展させるために中央集権体制が機能してきた。しかし、バブル崩壊後、地方自治体や国民の間で地方分権社会を望む機運が高まった。平成7年に「地方分権推進法」をつくり本格的な議論が始まったが、13年間かけたにもかかわらず、地方分権が確立されているとは言えない。また、道州制に関する議論も活発に行われたが、制度に関する認識が一致せずに議論が先行し、道州特区にまで至った感が否めない。地方自治体の思惑と中央省庁の思惑、また地方議員と国会議員のそれぞれの思惑が絡み合い、議論は先行するも、実態が追いついていない。

3.「地方分権」の課題

地方分権の議論や実践が、結果として、どこに向かっているのかわからない。つまり、全体像と過程が見えてこない。最後のゴールが道州制なのか、国と基礎的自治体という2段階方式なのか、現況の都道府県制なのか、そして現状はどこまできているのか、明確になっていない。まずは、将来の国の形を明確にし、地方分権へのプロセスを明らかにした上で、地方自治体と地方議会の協力を求めるべきだと思う。望むべき国の形が見えないから、議論も実践もスピーディーでなくなる。

4.「地方分権」のあるべき姿

基礎的自治体が更なる合併を進めることにより一定規模を有し、出来うる限りの権限・財源が委ねられている社会であるべきだ。基礎的自治体が提供出来る行政サービスは、全て行い、基礎的自治体が出来ないことのみを上位組織が担う仕組みでなくてはいけない。地方分権は、国の根本を変える政策課題であるが故に、強制力と罰則を設け覚悟を持って推し進める必要がある。

II.「市町村合併」

1.「市町村合併」とは何か

地方自治法第7条に定められる「市町村の廃置分合又は市町村の境界変更」のこと。

昭和20年終戦直後の市町村数は、10,820であった。昭和28年「町村合併促進法」、昭和31年「新市町村建設促進法」が施行され、昭和36年には市町村数が3,472となった。昭和40年「市町村の合併の特例に関する法律」が10年間の時限立法として制定され、市制施行の人口要件が緩和されると共に、高度経済成長に応じた大規模合併が行われた。昭和50年以降も同法の延長が行われてきたが、合併の動きが低迷し、昭和50年代の第二次臨時行政調査会、平成7年の地方分権推進委員会において、市町村合併の推進が提言されている。平成7年「地方分権一括法」により、「市町村の合併の特例に関する法律」の改正が行われ、住民請求による法定

合併協議会設置の発議制度、合併特例債等の財政支援措置制度により、政府により合併が強力に進められた。

また、人口要件の緩和等により、政令指定都市への移行、市への移行も行いやすくなった。平成11年市町村数は、3,232となった。平成12年には、自民・公明・保守の与党3党により「基礎的自治体の強化の視点で、市町村合併後の自治体数1,000を目標とする」との方針が示された。市町村にとって、合併特例債等の財政支援が、平成17年3月までと限られていたこと、一方で、地方交付税依存度が高い市町村は、三位一体改革による地方交付税の大幅削減が行われたことが要因となり、合併が進んでいった。逆に地方交付税依存度が低い市町村の合併、都市部地域の合併は進まなかった。平成17年4月「市町村の合併の特例等に関する法律」が施行され、都道府県による合併推進が明記されたが、財政支援措置がなくなり、合併は思うように進んでいない。平成18年には1,820となる。平成21年、第29次地方制度調査会から、政府主導の合併推進は一区切りすべきとの答申を受け、平成22年「市町村の合併の特例等に関する法律」は改正され、同法は10年間延長されたが、国・都道府県による合併推進に関する規定はなくなり、市制移行への要件緩和なども廃止され、政府主導の合併推進は終わる。平成22年3月の市町村数は1,727となる。

2.「市町村合併」の評価

終戦直後の昭和20年、10,820あった市町村が、自民党が結党され、昭和31年「新市町村建設促進法」を制定し、昭和36年には3,472とした。更に時代背景とともに市町村合併を推し進めた結果、平成22年3月には、1,727となっており、自民党の市町村合併策は、まずまずの効果をもたらしたと言える。しかし、何のための市町村合併なのかという目的が明確でなく、将来の市町村のあるべき姿(基礎的自治体のあるべき姿)を明らかにすることを怠ったと言える。自民党は平成12年に「市町村合併後の自治体数1,000を目標とする」と定めた以上、今だ道半ばであり、更に推し進めていかなければならない。

3.「市町村合併」の課題

原子力発電所が立地するなど、地方交付税依存度の低い市町村、三位一体改革等により自主財源の確保が出来る都市部など、財政面で合併にインセンティブが働かない場合がある。

また、更なる少子高齢化、国・地方を含めた今後の財政再建を考えれば、規模の拡大による行財政改革は欠かせないものとなる。

しかし、市町村による自発的な合併が行われるとは思えない。更に、国・都道府県が主導し、基礎的自治体としての将来のあるべき姿を明確化し、合併を推し進める必要がある。そのためには、合併を積極的に行わない市町村に対し、地方交付税削減、特別措置の廃止、税源移譲削減等の罰則に近い規定を新たに設けることも必要である。

4.「市町村合併」のあるべき姿

市町村は、都道府県制であろうが、道州制であろうが、どんな仕組みであれ、生活に密着する基礎的自治体であることは間違いない。小さく効率的で実態に伴うサービスが提供され、専門性にすぐれた優秀な職員により財政を踏まえた基礎的自治体の役割を果たせる市町村であるべきである。

また、職員、議員数を削減し、報酬を引き上げ優秀な人材を登用することも大切である。そのためにも、更に合併を重ね地方分権社会に相応しい自治体数となり、権限・財源を委ねなくてはいけない。

III.「三位一体改革」

1.「三位一体改革」とは何か

三位一体改革は、小泉政権の「聖域なき構造改革」において、「国から地方へ」への具体策とし推進された政策。

「骨太の方針2002」において、「国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分のあり方を三位一体で検討し、それらの望ましい姿とそこに至る具体的な改革工程を含む改革案を、今後一年以内を目途にとりまとめる」という方針が定められた。平成15年度予算では、5,600億円の国

庫補助負担金が削減され、2,300億円のみ一般財源化された。

「骨太の方針2003」では、平成18年までに、4兆円の国庫補助負担金を廃止・削減、地方財政計画の歳出を見直し、地方交付税総額を抑制、廃止する国庫補助負担事業の中で、引き続き地方が主体となって実施する必要があるものについては、基幹税の充実を基本に税源移譲を行う、と定められた。平成16年度は、国庫支出金が、1兆300億円削減され、6,600億円の税源移譲が決定された。また、地方交付税と財源対策債を合わせて2兆9,000億円が削減された。

「骨太の方針2004」では、3兆円規模の税源移譲を先行決定し、補助金削減を検討するとしたが、実際の税源移譲は2兆4,000億円となった。平成17年に6,000億円の税源移譲が定められ、小泉政権下で定めた三位一体改革の工程は完了した。

2.「三位一体改革」の評価

過去の状況を鑑みれば、「三位一体改革」による国庫補助負担金、地方交付税、税源移譲を含む税源配分の改革は一定の効果をあげているが、未だ道半ばである。

また、地方自治体に使い勝手の良い財源が増え、一方で臨時財政対策債の発行が制限され財源が減少した地方自治体に行財政改革を促す効果があった。

3.「三位一体改革」の課題

「三位一体改革」が思うほど進まない原因は、中央省庁の抵抗、地方自治体の受け入れ状況の不備等にある。まずは、国が集める税金と地方が集める税金の割合と、国が使う予算と地方が使う予算の割合がずれているので、比率を合わせることが必要である。

地方自治体の規模により、改革の方法論、工程は自ずと異ならなくてはいけない。規模の大きい地方自治体は、税源移譲が望ましく、税源移譲するべき税源がそもそも少ない規模の小さい市町村に対しては、一括交付金が望ましい。また、一括交付金をインセンティブにし、市長町合併を更に進め、行政の効率化、財政の健全化を行い、足腰の強い地方自治体を形成し、将来的には税源移譲に繋げる必要がある。

4.「三位一体改革」のあるべき姿

国からの更なる税源移譲と同時に、一定規模の地方自治体が、課税自主権を行使し、自らが課税し、必要とすべき財源を確保する。権限・税源の移譲を推し進め、地方自治体に真の自立を促すことが、三位一体改革の最終的な目標とならねばならない。地方税の滞納徴収に関しては、市町村職員で行うと域内の知人・友人が多く、徴収が困難になる。また、業務効率を上げるためにも、税務署等の機関に委任して、執行させるなどの方法を考慮する必要がある。

第2章---社会保障制度

I.「国民皆保険制度」

1.「国民皆保険制度」とは何か

日本の医療制度は、戦後の混乱期を経てGHQによる医療改革がスタートし、高度経済成長へ向かう時代背景の中で、昭和36年に国民皆保険制度が実現、昭和48年には高齢者医療費が無料化された。オイルショック以降は行財政改革が迫られ、昭和58年老人医療の無料化を見直す老人保健制度が創設、昭和59年被用者本人の1割負担の導入が実施された。

平成以降、わが国は諸外国のなかでも類を見ないスピードで少子高齢化が進行し、平成2年に合計特殊出生率が史上最低を記録(1.57ショック)、平成17年にはついに人口減少社会に突入した。併せて、バブル経済の崩壊を契機に低経済成長時代を迎えた。

本格的な長寿社会の到来による医療費の増大により、社会保険財源は悪化し、社会保険制度の持続可能性を高める制度改革を推進する必要性に迫られるなか、平成12年介護保険制度の創設、平成15年健康保険本人3割負担、平成20年には医療制度改革の一環として、第3次小泉改造内閣が提出し成立した「健康保険法等の一部を改正する法律」により、法律名を従来の「老人保健法」から「高齢者の医療の確保に関する法律」に変更、内容を全面改正して制度名を「老人保健制度」から「後期高齢者医療制度」に改めた。

2.「国民皆保険制度」の評価

少子高齢化の中で、医療にかかる公的コストが非常に高く、将来的に財政を大きく圧迫するという点は大きな不安材料である。

しかしその一方で、世界一の長寿国となり、健康寿命も世界一、幼児死亡率も世界一低く、まさに世界で最も長い人生を楽しむことが出来る日本をつくってきた「結果」を考えれば、これまでの国民皆保険制度を前提とした医療政策は正しかったと言えよう。

実際、世界で年間1億人以上が病気や高額な医療費のために貧困に陥っているなか、世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は「すべての国が国民皆保険制度の導入を目指すべきだ」と進言。その成功例として欧州や日本をあげている。

また、後期高齢者医療制度については様々な評価がされているところである。名称や区分の仕方など改善せねばならない点がある一方で、将来の更なる高齢化、負担増を考えれば、負担の先送りは限界であり、一定の高齢者に一定の負担をという改革自体は必要である。

負担はなるべく低く、サービスはなるべく手厚く、というのは理想である。少なくとも投入した資源とアウトプットから見た効率という点では他の国と比べて日本の公的医療制度は極めて高い水準にある。

3.「国民皆保険制度」の課題

日本の国民皆保険制度は国際的に見て高く評価される制度ではあるが、課題もある。

第一に財政的な問題である。今後、医療費は高齢者人口の増加等により構造的に伸びていく可能性が高い。75歳以上の高齢者の1人あたり医療費は他世代の5倍であり、年間医療費33兆円(平成18年)は現行制度の下では毎年約1兆円、3%ずつ増加する。

第二に、国民皆保険制度の維持のためには、増加が見込まれる医療費の根本的な抑制と、予防医療の推進が課題としてあげられる。食生活や生活習慣、生活環境等の改善を図ることで、病気を防ぎ、なりにくい体質をつくることは、医療費抑制のためには大きな優位性を得られる。

第三に、これまでにないスピードで高齢化社会が進む日本において、社会状況の変遷に対応した医療制度の改革は必須である。国民医療費は年々増加し、現在、約30兆円の規模、このうち高齢者に係る老人医療費は約10兆円であり、医療費全体の1/3を占めて、年々その割合が上昇している。また、国民医療費の伸びは、国民所得のそれを上まわっており、特に老人医療費の伸びは著しいものとなっている。質を維持しながらその抑制をどう実現するかが課題である。さらには、保険適用の範囲、レセプト(診療報酬明細書)オンライン請求の義務化、終末医療(ターミナルケア)への国民的コンセプトに基づく対応等々、日本における国民皆保険制度の持続的な発展のためにはこれらの課題を解決する必要がある。

4.「国民皆保険制度」のあるべき姿

世界でも高く評価される国民皆保険制度を維持、存続しなければならない。

そのためには、レセプトのオンライン化などを通じ、更に医療費の適正化を進め、また終末期医療、入院のあり方などを通じ、ある程度の効率化を図る必要がある。

日本が超高齢社会になることを鑑みれば、国民自らが健康に一定の責任を持ち自助努力の結果として医療費の抑制につなげなければいけない。

現在の医療制度を維持・発展させるためには、女性医師が継続的に医療に従事できるような環境整備や、病院機能の集約化、総合的な在宅医療のシステム、医療費の財政配分等、改革を行なっていき、国民が保険制度に加入していれば安心して、その医療サービスを享受できるようにしていくべきである。

高齢者となっても、人間らしく豊かな社会生活を送れてこそ、日本の社会が成熟したと言える。そうした社会を目指すためにも現在の国民皆保険制度を維持・発展させていくことが必要であり、今を生きる我々にその役割が託されていることを改めて自覚しなければならない。

II.「国民年金」

1.「国民年金」とは何か

国民年金は、昭和36年、職業や所得等に係わらず全国民が公的年金で、カバーされることを目的とする、つまり、国民皆年金制度として適用が始まった。

その後、昭和61年の制度改正により基礎年金制度が導入された。その結果、現在では、全ての現役世代が、国民年金の被保険者となり、高齢期になれば、加入期間に応じて、定額の基礎年金の支給を受けることになっている。

また、これに加え、民間サラリーマンや公務員は、厚生年金や共済年金に加入することにより基礎年金の上乗せとして報酬比例年金を受け取ることが出来る。

更に、平成3年には、厚生年金と共済年金の対象とならない被保険者に対して、国民年金基金制度が整備され、その基金に加入することにより基礎年金へ上乗せを行うことが出来るようになった。

国民年金は、加入期間25年以上で受け取り資格が発生し、満期となる40年間加入した場合、月額66,008円を受け取ることが出来る。平成23年度の月額保険料は、15,020円となる予定である。平成22年11月末の保険料納付率は、58.0%である。

現在、全体で6,935万人を数える被保険者は、第1号から第3号に分かれ、自営業者等は第1号被保険者で2,035万人。サラリーマンや公務員は第2号被保険者で3,837万人。第3号被保険者は第2号被保険者の被扶養配偶者で1,063万人となっている。

2.「国民年金」の評価

日本の制度が最も特徴的なのは強制加入であり、主な他の先進諸国とは異なり、全居住者が対象となっている。つまり、将来の不安を解消し得る制度設計となっており、大いに評価できる。

一人ひとりのライフサイクルに合わせた制度設計でありつつも基礎年金制度を整備したことにより、日本に居住する全ての人は、将来に渡って人として最低限の生活が営める終身年金となっている。万が一、加入者が障害者あるいは遺族となった場合には、障害者・遺族年金として支給が約束されており、高齢者のみならず社会的弱者に対する配慮も充分になされている。

また、支払った保険料が全額所得控除され、物価に応じて給付額がスライドする、加入者にとって利便性の高い制度となっている。

3.「国民年金」の課題

昭和45年頃と現在を比較してみると、平均寿命は男女ともに約10歳伸び、65歳以上の高齢者の割合は人口の7% から22%になった。少子化で出生数は190万人から107万人に減少している。制度設計を行った昭和36年当時一人の高齢者に対し、7~8人の現役世代が支えていたが、現在では2人と減ってきており、将来的には1.4人の割合になると推定される。支えられる人が増えて、支える人が減ってきており、財源不足の課題に直面している。

それに加え、本来、居住者全員が加入しなければならないにも拘らず、将来の不安から納付しない人が増加しており、保険料徴収額が減ると同時に、無年金者の増加を引き起こしている。無年金者は必然的に生活保護受給者となることが予想され、扶助費の支出が増加することになる。こうしたモラルハザードを引き起こす制度上の欠陥を修正する必要がある。

加えて、「宙に浮いた年金」問題に端を発した社会保険庁の年金記録に対するずさんな管理体制が、国民の年金に対する信頼を著しく低下させた。未だに年金記録を精査出来ずにいる組織を改める必要がある。国民が安心して保険料を納付できるように年金記録の徹底した管理・運用が必要である。

国民年金の支給額に関しては、制度上、最低限の生活を保障する額としているが、現況では、生活保護費と比較してみても明らかにその水準に達していない。

また、国民年金の信頼を得るために、世代間の格差を調整するとともに、いずれ賦課方式か積立方式かを選択し、制度を見直す必要がある。

4.「国民年金」のあるべき姿

少子高齢化社会の中でも、持続可能な年金制度でなければならない。そのためにも、まずは、年金記録を適切に管理・運用できる組織を作らねばならない。そして、本来、強制加入とされているにも拘らず、全居住者が加入していない現状を改善し、真の国民皆年金としなくてはならない。

そして、全ての加入者が、将来、人として最低限の生活が営めるように十分な年金を支給すべきである。

国庫負担の割合を時代と共に調整しながら保険料徴収を前提とした国民年金を維持しつつ、将来においては最低保証年金を税金で全てまかなう制度への変更を進めていく必要がある。

III.「障害者自立支援」

1.「障害者自立支援」とは何か

現在の障害者の総数は744.2万人と言われ、人口の5.8%を占めている。うち在宅の障害者は92.6%である。更に65歳以上も46%を占めているのが現状である。

「障害者が地域で暮らせる社会に」「自立と共生の社会を実現」というコンセプトの下に平成18年4月、障害者自立支援法の施行が決まり、同年10月に完全施行となった。法律が目指していた改革は次のとおりである。対象は身体障害者、知的障害者に精神障害者を加え3障害の制度格差を解消すること。実施主体は市町村に一元化し、都道府県はバックアップをすること。日中活動支援と夜間の居住支援を分離し、施設目的と利用者の実態を乖離させないこと。重度の障害者を対象としたサービスや就労支援事業を創設すること。支援の必要度に関する客観的な尺度(障害程度区分)を導入し、全国共通の利用ルールを作ること。国の費用負担の責任を強化し、費用の1/2を負担すること。利用者も応分の費用を負担し、皆で支える仕組みにすること。

障害者自立支援法は「障害者が社会に参加できる仕組みを作ること」を目的としていたが、完全施行からわずか1年で抜本的な見直しに向けた緊急措置が取られた。事業者の経営基盤の強化やグループホーム等の整備促進、利用者負担の見直しがその理由として挙げられた。障害者団体等から違憲訴訟が提起され、平成22年4月に、現行法を廃止し新制度を平成25年までに作ることを前提に和解が行なわれている。平成22年「障害者自立支援法等の一部を改正する法律案」が成立した。

2.「障害者自立支援」の評価

従来は自分の支払える範囲の「応能負担」しか請求されなかったのに対し、障害者自立支援法では、障害者、障害児の居宅、通所サービスに対して、利用者がサービスの量と所得に応じて支払う「応益負担」に方針が転換された。その結果、障害者の経費負担が増加したこと、また経費を削減するためにサービスの利用をひかえる人が出てきたことは評価できない。

更に、障害者自立支援法では「制度の谷間」があり、就労支援が必要とされながら、臓器、疾患、機能障害によって障害者手帳の対象とならない人が生じたことにも問題がある。

3.「障害者自立支援」の課題

障害者が地域で自立した生活ができるように、グループホーム等の設置、利用促進、また、設置を考える法人等に対する助言やバリアフリー化等の改修工事の助成も積極的に行っていく必要がある。

また、障害者にとって働いてお金を得ることが励みになっているので、授産施設や地域作業所の機能強化が課題としてあげられる。加えて、授産施設や地域作業所の運営者における営業や経営に対する認識不足を解消しなければならない。

障害者自立支援と社会とのあり方について、国民がもっと考え、意識できるよう啓蒙、広報活動に力を入れていくことも課題の一つである。

障害者自立支援法上の「制度の谷間」をなくし、難病者や発達障害者等をカバーする総合的な障害者福祉法のあり方を検討するべきである。

4.「障害者自立支援」のあるべき姿

現在、「障害者の雇用の促進等に関する法律」では、民間の事業主に対して常用雇用労働者の1.8%以上の障害者を雇用することが義務づけられており、その達成が先ず必要である。しかし、中小企業では実雇用率は依然低い水準にある。福祉が障害者の生活を「支える」という観点だけでなく、働く意欲を持った障害者を「支援する」という視点を広く地域や社会で認識することが求められている。

地域作業所や授産施設や、また障害者を積極的に雇用している企業で商品化されたものについては、公的機関が積極的に購入、更には認定制度を確立するなど、販路拡大を支援することが必要である。

障害者の特性やライフサイクルに応じた政策を遂行するために、障害がわかったときから個人のデータを将来に備えて適切に管理・運用できる仕組みも不可欠になっている。

障害者の自立には雇用環境の整備や障害者の年金支給額増額により、障害者自身が納税者として社会の役割を果たすことができるようにしなければならない。

IV.「介護保険」

1、「介護保険」とは何か

介護保険は平成12年4月に導入された。その目的は大きく分けて以下の3つにまとめられる。一つ目として、今までは措置制度であったので、利用者の意思に関係なく提示されたサービスを受けるしかなかったが、利用者がサービスを選べるようにする。二つ目は、在宅介護を中心とした制度を確立するためにも、その負担を家族だけでなく社会全体で支えていくようにする。そして、三つ目に、介護分野まで医療が抱えていては、質の高い医療を提供できない。ゆえに介護を切り分けて、その負担とサービスを明らかにする。

現在は、40歳以上を被保険者とし介護保険料を徴収し、利用者が1割の負担、その他の費用を保険料と公費で折半する制度となっている。保険者は原則市町村で平成21年4月1日現在、保険者数は1,631である。

3年を1期として運営し、介護保険事業計画を策定し、その3年間の財政が均衡するように保険料を設定することになっている。ちなみに今期は第一号保険料(65歳以上の方)の全国平均は、4,160円である。

2、「介護保険」の評価

介護保険の給付費は平成12年度3.2兆円から平成22年度当初予算では7.3兆円まで増大しているが、その財源を確保できたのは、保険方式にして多くの国民がその費用を負担したからと言える。

要介護、要支援認定者数は、平成12年度から比べれば、2.2倍に、サービス利用者数も2.7倍に大幅に増加しており国民に十分認知され、また利用されている制度となったと評価できる。

医療との切り離しについては、患者もしくは利用者の一人ひとりの状況が違う上、微妙な判断が必要であるが、当初の目的は概ね達成されていると言えよう。

しかし、一方で在宅介護を目指す方向性を示しながら、現状としては施設介護を望む利用者もしくは利用者の家族が多くなっており、この点においては制度創設時の方向性とはかなり異なっていると評価しなければならない。

また、介護というよりは家事援助的な使われ方をされすぎているという指摘もある。こうした使われ方には賛否があり、未だ集約しきれていない。

同時に、保険料を納付していることから権利意識が高まり、利用しなければ損だという感覚からサービスの利用者数が大幅に伸びているとの指摘もある。それを反映してか、介護は施設に任せればよく、家族で介護せずに済ませようとの考え方に基づく介護放棄が急速に拡大していることは望ましいことではない。

3、「介護保険」の課題

先ずは財源問題である。将来、介護保険の給付費の最大は、年間20兆円を超すと予想されており、これは現在の約3倍である。

介護職員確保の問題が更に財源問題に拍車をかけている。看護と比べても給与水準が低く人材確保が困難であり、解決策としては、介護保険料の報酬を上げるしかない。だが、一人月額1万円上げるだけで年間1,000億円以上の費用がかかる計算となってしまう。

ケアマネージャー制度の問題は、質の確保と現場での運用にある。認知症など利用者の状態を的確に把握するのは難しいうえに、個人の裁量に負う部分が多く、トラブルも発生している。

介護報酬の問題は、在宅介護、施設介護など介護報酬の振り分けによって、施設運営者は、高い報酬を約束されたサービスは積極的に提供するが、低い報酬のサービスには消極的になる。社会の変化に適応した介護報酬の適切な組み合わせを常に模索し続けなければならない。

行き過ぎた施設介護依存からの脱却があげられる。本来、在宅介護で対応できるにも拘わらず、家族の負担軽減を求め施設に入居させている家族が増えている。従って、今まで在宅介護を行っていた家族が、最終的に対応できなくなり、施設入居を望んでも、入居できない現況がある。

尚、制度そのものの課題ではないが、都市部における高齢化が進み、日常生活支援などのサービスが介護保険にも求められている。

4、「介護保険」のあるべき姿

財源問題に関しては、目先のことでは対処できない。介護だけではなく、医療、年金、障害者福祉なども含めた社会保障全体で考える必要がある。その際、利用者から見て、年金、医療、介護などそれぞれ整合性がとれて使い勝手のよいサービスであることと、それに必要な財源の額を突き合わせ無駄

のない包括的な制度、つまり、歳出歳入の均衡を保つ制度設計が必要である。

中学校区ほどの広さを高齢者の生活圏域と捉え、サービス提供の具体的な計画を策定することが必要である。

なお、今後、家族や地域共同体のあり方なども介護保険の給付費を抑える手段として捉えていかなければならない。

また、在宅介護の方向に進めるために、何らかの優遇措置が求められる。自助、共助、公助の考え方からしても、利用者本人の幸せを考えた上でも、在宅介護を家族が必然的に選択する仕組みを制度の中に組み込む必要がある。

V.「労働者派遣の規制緩和」

1.「労働者派遣の規制緩和」とは何か

労働者派遣とは、労働者派遣法第2条で定められる雇用形態。派遣会社が、労働者を派遣先に派遣して、派遣先の指揮命令を受けて労働させる雇用形態を言う。

労働者派遣法は、昭和60年に制定され、それまで職業安定法により間接雇用が禁止されていた派遣労働が行われるようになった。当初は、通訳やソフトウエア開発、秘書など専門性の高い26業種に限定され派遣が認められた。平成10年、同法は改正され、医療業務、建設業務、警備業務、製造業務、港湾運送業務等の業種を除き、1年を限度に派遣が全業種で認められるようになる。また、26業種については、派遣期間が3年となった。平成15年、規制改革会議(議長:宮内義彦)の答申に基づき、同法が改正され、製造業務への派遣解禁、紹介予定派遣の法制化が行われた。平成17年、同法が改正され、派遣受入期間の延長、派遣労働者の衛生や労働保険等への配慮が定められた。

2.「労働者派遣の規制緩和」の評価

労働者派遣法が成立したことにより、派遣労働に対する枠組みがつくられて、働き方の選択が出来るようになり、潜在的な労働者も顕在化してきた。労働者は、派遣会社に登録することより、派遣先の企業を選択することが出

来るようになった。また、人材の流動性が高まり、景気変動に応じた雇用の柔軟性を担保した結果、企業の海外流出を防ぐ効果もあった

一方で、小泉改革により非正規雇用が増加し、格差社会を生んだという指摘がある。しかし、総務省の労働力調査によると非正規雇用の割合は、バブル期末期の平成元年に20%を越えて以降、平成13年27.2%、平成14年( )%、平成15年30.3%と増え続けていた。平成16年労働者派遣法改正が施行され製造業派遣が解禁された以降も、平成16年31.5%、平成17年32.3%、平成18年33.2%と、非正規雇用の割合は増えているが、増加率は法改正以前と変わっていない。即ち労働者派遣法改正から急に増えたわけではない。特に製造業における正規雇用は970万人で平成16年以降ほとんど変わりがなく、製造業の派遣を禁止しても、正規雇用に繋がらず、請け負いに戻るだけと考えられる。確かに、昭和60年代以降、経済のグローバル化、社会のIT化により、格差社会が生じているが、小泉改革時代は、景気が回復した結果、失業が減っており、格差拡大傾向は弱まっている。

3.「労働者派遣の規制緩和」の課題

派遣労働は契約期間を過ぎれば辞めることが前提となっている。昨今指摘されている契約期間中に契約が破棄される「派遣切り」問題は、労働者派遣の規制緩和とは別の法的な問題であり、対応を区分けして考える必要がある。しかしながら、再契約が保障されていない派遣労働者の不安定さに対応したセーフティーネットは充実しておらず課題となっている。

また、行き過ぎた規制緩和が指摘されているが、派遣事業報告(速報)によると、平成22年の派遣社員総数は140万人であり、総雇用者に占める割合は2.7%である。その内、製造業務派遣は23万人、更に1年以下の派遣労働者は9万人に過ぎず、先の指摘は的確ではない。

労働者派遣の規制を強化することが、将来の労働市場を安定させることには繋がらない。少子高齢化時代に対応し、潜在的な労働力を労働市場に参加させるためには引き続き規制緩和の路線を維持することが必要である。

4.「労働者派遣の規制緩和」のあるべき姿

平成19年、厚労省の就業形態の多様化に関する総合実態調査によると、非正規雇用者の70%は現在の非正規雇用としての働き方を望んでいる。これからの日本社会は、働き方やライフスタイルを押し付けることをせず、多様な働き方を選択できる社会でありたい。一方、ライフスタイルは自ら選択し、選択した責任は自らが取る以上、政府をはじめ他者への責任転嫁はするべきではない。

非正規雇用については、派遣先への法令順守の徹底、契約破棄に対するセーフティーネット等が確立されなければならない。

また、労働集約やITにより、省力化が出来る労働から、高付加価値を生み出す産業にシフトしていくべきである。そのためには労働者の能力を引き上げることが不可欠であり、学校制度のあり方、学生時代の学び方、社会人の能力活性化プログラム等の再構築が必要である。

長期的には、正規・非正規と言う概念及び制度差をなくし、労働時間、能力に応じ、同一労働同一待遇を基本とした社会をつくる必要がある。

第3章---社会資本整備

1.「社会資本整備」とは何か

社会資本とは「人々が生活を営み、経済・社会活動を行うのに必要不可欠な基盤となる施設」であり、一般的には、道路・鉄道・港湾・空港等の交通基盤施設、農林漁業基盤施設等の生産基盤施設、上下水道・都市公園・教育・文化・福祉厚生施設等の生活基盤施設、河川・砂防・海岸等の国土保全防災施設、等の総称である。

日本においては、欧米諸国に著しく遅れていたこれらの社会資本を整備するため、明治新政府による鉄道に始まり、戦後は高度経済成長を支える産業基盤、昭和40年代半ばになると田中角栄氏の日本列島改造論と共に、生活基盤の整備にも重点がおかれた。

平成2年、貿易摩擦解消のための日米構造協議を機に「公共投資基本計画」が策定され、13年間にわたり公共事業への総投資額630兆円が確保され、バブル崩壊後の景気対策として、国及び地方自治体は多額の公共事業を行った。

しかし、平成14年、小泉政権はこの基本計画を廃止し「構造改革と経済財政の中期展望」を閣議決定する。社会資本整備は真に必要な分野へ投資を集中し、建設から運営について可能な限り民間に任せることを基本にハードからソフトへの転換を努力するとした。これに基づき、国の公共事業関係費は毎年3%削減し道路等の特定財源についてはその在り方を見直す方向とした。

平成20年9月のリーマン・ショックに端を発した世界金融危機により、麻生政権は大規模な景気対策を講ずるべく、道路特定財源から地方への財源を捻出した。

現在、日本の社会資本ストックは、道路125万㎞、河川12万㎞、海岸3.5万㎞、下水道39万㎞、その総額は約700兆円(道路234兆円、治水70兆円、海岸6兆円、下水道46兆円、港湾4兆円、空港43兆円、公共賃貸住宅29兆円等)に上る。

A.空港整備

第一次空港整備五箇年計画が開始された昭和42年時点で既に58空港が存在したが、現在98空港が整備されている。

拠点空港28(会社管理空港は成田・中部・関西の3空港、国管理空港20、特定地方管理空港5)、地方管理空港54、その他の空港9、共用空港7であるが、空港別収支はその大半が赤字である。

平成15年、社会資本整備重点計画では、空港整備は離島を除き新設を抑制するとし、空港政策が整備から運営・運用へシフトしつつある。

  1. 東京国際空港(羽田)の整備
    羽田の発着枠は沖合展開事業により拡大されてきたが、能力の限界に達し、平成16年度から再拡張事業により4本目の滑走路の整備が進められた。国際線地区についてもPFI(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)手法を活用し平成22年10月末に供用を開始、羽田の本格的な国際化が実現した。
  2. 成田国際空港の整備
    昭和53年、日本の表玄関として開港したが、平成14年に暫定平行滑走路が供用した後も、航空会社からの乗り入れ要請に対応できない状況にあった。地元自治体の理解を得、平成18年、平行滑走路の2,500m化を着工し、平成21年10月に供用を開始した。
  3. 関西国際空港・中部国際空港の整備
    関空は、平成19年の2本目の滑走路の供用により、日本初の完全24時間運用可能な国際ハブ空港となった。平成21年4月には二期国際貨物地区の供用を開始するとともに、連絡橋道路の料金引き下げによるアクセスの改善が図られた。
    中部空港では、国際ビジネスジェット格納庫の整備などを通じ、需要拡大に取り組んでいる。

B.港湾整備

全国997港湾(うち重要港湾102、特定重要港湾23、地方港湾871)が整備されている。

平成17年にスーパー中枢港湾(京浜港・伊勢湾・阪神港)、22年に国際コンテナ戦略港湾(京浜港・阪神港)を指定した。

C.道路整備

平成21年時点、日本の道路の総延長は約126万6,800㎞、高速自動車国道9,100㎞、一般国道6万7,000㎞、都道府県道14万2,500㎞、市町村道104万8,200㎞である。

戦後のモータリゼーションに対応する道路整備のためには、一般財源以外の財源を必要とした。そこで、昭和29年、第一次道路整備五箇年計画とともに、①特定財源制度が創設され、昭和31年、日本道路公団が設立され、②有料道路制度を確立した。

本州四国連絡橋3ルートの建設では4兆円超の負債を残し、東京湾アクアラインには1兆4,000億円の巨費を投じた。

  1. 特定財源制度
    道路特定財源制度は、受益者である自動車利用者が道路整備のための費用を負担する制度であり、道路特定財源諸税(昭和29年揮発油税、昭和30年地方道路譲与税、昭和31年軽油取引税、昭和41年石油ガス税・石油ガス譲与税、昭和43年自動車取得税、昭和46年自動車重量税・自動車重量贈与税)を創設してきたが、平成21年、麻生政権の下、道路特定財源は一般財源化された。
  2. 有料道路制度
    高速自動車国道において昭和31年からの路線別採算方式を改め、昭和47年、料金プール制が導入された。
    平成17年、道路関係四公団は約40兆円の有利子負債を返済しつつ、必要な道路を建設することを目的に民営化された。

2.「社会資本整備」の評価

戦後、社会資本整備は急ピッチで進み、昭和43年には国民総生産(GNP)も世界2位となり、国民生活は飛躍的に向上した。

その後も「国土の均衡ある発展」を目指し、全国津々浦々に経済・社会活動の礎は築かれていく。

昭和40年代半ば以降、社会資本による限界生産性は民間資本と同様、整備が進むにつれ、徐々に低下していく。東海道新幹線・東名高速といった大動脈である交通基盤や、上下水道のような生活の基幹的事業から、利用頻度の低い、利便性の限られた事業へシフトし、また、事業の長期化によってコ

ストが膨らんでいった。公益性と費用対効果が錯綜する臨界期であったと考える。

しかし、昭和の終わりから平成の始めのバブルの生成・崩壊過程では、国・地方ともに歳出の重心は公共投資に置かれた。公共事業自体が目的化され、社会資本としての体系的な機能を度外視し、地域への景気刺激、利益誘導が優先された。それに絡む談合、天下りなど政官業癒着が顕在化したことは看過できない。

その後、地価上昇・人口増加を前提とした右肩上がりの成長モデルを改められず、甘い需要予測を信奉するなど、人口減少・デフレ社会への政策転換が遅れた。

総じて、私達は時代の潮流、変化に、結果として適応できなかった。

災害対策やバリアフリー化など、着実に公共財を積み重ね、評価を得るところもある。その一方で、国際ハブ空港・コンテナ港湾の競争力は培われぬまま、全国に98の空港、997の港を点在させることになった。都市圏の渋滞は解消されないが、地方では空き過ぎる道路が出来上がっている。必要のない空港、過剰なまでの港、無駄な道路へ散財し、散在させてしまったこと、そして、それらを今後維持していく将来負担を残してしまった。「“公共事業”=“無駄・悪”」というイメージを植えつけてしまった責任は大きい。

全国にインフラが満遍なく点在することが、均衡に発展したことでもなく、国際競争力が高まったわけでもないと自省する。

3.「社会資本整備」の課題

財政出動による多くの公共事業が一過性の景気対策に過ぎず、機能の期待効果は望めず、将来負担を残すことは証明された。日本の発散的な長期債務、少子高齢化による社会保障費の伸びを鑑みると、社会資本整備への投資は極めて厳しい状況にある。

限られた社会基盤整備予算は、国際競争・産業発展に資する機能強化と生活保全に死活的なものだけに、厳選して使われるべきである。選択と集中が要諦である。

4.「社会資本整備」のあるべき姿

社会資本の中でも、空港・港湾・道路は、もはやハードではなくソフトである。既存するインフラを基に、空路・航路・陸路を有機的に結合させる交通・物流網を構築しなければならない。既存施設の効率的な運用と運営が要諦であり、期待効果が上がらず維持費が嵩むものを放置しておく余裕はない。転用や廃止、整備途中の撤退も視野に入れるべきであろう。

受益と負担を明確にし経営的観点を備えるため、整備・運営の主体を市場・民営化、もしくは地方分権へと加速したい。従って、特別会計制度を解体し、内部でプール・補助する仕組みから脱却する。

交通基盤整備は、人々の営みの時空を制御する基礎的条件であり、ダイナミックに新しい地図を描くことも可能であろう。しかし、我々はそれが未来への投資か負債かを見極めなければならない。建設中の第二東名高速道路は見直すべきである。

A.空港整備

羽田・成田空港は首都圏空港として一体的活用を推進するため、両空港間のアクセスを改善しなければならない。

関空は1兆3,000億円超の負債を抱えたバランスシートの抜本的な改善、伊丹空港との統廃合を含めた早期の関係整理が必要である。

極東に位置する日本の空港は、地政学的にも太平洋路線に重心を置くべきである。にもかかわらず羽田・成田・関空の着陸料は米国やアジアの主要空港の数倍であり、国際競争下では運用面での補助制度が必要である。

B.港湾整備

スーパー中枢港湾に集中投資し、急拡大しているアジア・欧米間航路の国際コンテナ貨物を取り込まなくてはいけない。

しかし、日本各地の貨物でさえ、特に日本海側の貨物は地方港から釜山港へ集荷され、欧米への基幹航路へ積替えされている。まずは、国内貨物が賄える日本発着の基幹航路を保持しなければならない。そしてさらに、アジアの中で地政学的に優位である北中南米航路の国際コンテナ港湾を目指すべきである。

従って、国内における海上輸送、鉄道・トラックの陸上輸送との連携を強化すること、アジア諸港とのコスト・サービス競争に負けないために港湾運営を効率化、民営化することが必要である。

C.道路整備

三大都市圏の渋滞解消に環状道路、ならびに基幹ネットワークの国土ミッシングリンクを結合させる整備に特化する。

高速道路においては、受益者負担の考えに基づいた料金体系を設定する。

第4章---外交・安全保障

1、「外交・安全保障」とは何か

第二次世界大戦後の敗戦から65年間、日本は平和であり続けた。敗戦国であると共に、唯一の被爆国として、武力による戦争は二度と起こさないと世界に宣言した。半世紀以上にわたり、戦争も国内紛争も起こさなかった国は極めて少ない。自衛隊にいたっては、保持はしながらも、ミサイル、大砲はおろか、一発の銃弾でさえ撃つことがなかった。正に、自衛隊の存在や、日米安保の堅持こそが抑止力であったと言える。

日本が無資源国家である事は今も昔も変わっていない。物質面において、国民生活の現状維持、あるいはそれ以上を求めるならば、アメリカを始めとする諸外国との円滑な外交なくしては、成り立たない。特に、エネルギー資源の確保が極めて重要な外交課題であった。日本のエネルギー依存の大半が石油であり、そのほとんどが中東地域からの輸入である。因って中東は日本の生命線である。湾岸戦争に際しては、アメリカを中心とした多国籍軍が結成され、これに対応した。日本は、多国籍軍に参加することができなかったが、賄われた戦費の内の110億ドルを拠出するも、諸外国から「金は出すが、汗はかかない」と批判された。湾岸戦争は豊かさを享受してきた反面、世界から国柄を問われ国益を損じる危機であったとも言える。湾岸戦争後に、海外の停戦合意地域において人的貢献も行えるよう、平成4年には国際平和協力法を成立させ、初めて日本の自衛隊が海外へ派遣された。また、テロ対策特措法に基づくインド洋上での外国艦船への給油活動や、海賊対処法に基づく、ソマリア沖、アデン湾での船舶の護衛活動等、練度の高い自衛隊の活動が諸外国から評価された。

2、「外交・安全保障」の評価

第二次世界大戦後、日本国憲法9条に基づき、日本は平和を希求し、紛争を解決する手段として武力行使を用いなかった。「領土・国民・主権」近代独立国家に不可欠な3要素を日米安全保障条約と自衛隊で担保してきた。自民党が日米安保体制を選択し、資源外交を中心とした貿易立国を掲げ、経済大国に導いたことは評価すべきことである。

3、外交・安全保障」の課題

日米安保体制に基づく米軍基地の問題については、騒音被害、米軍関係者の犯罪に対する地位協定等が多く取り上げられてきたが、課題は未だ残されている。

米軍基地が他国や県外に移る事による地域経済や雇用への悪影響は取り残されたままであり、議論さえ十分に行われていない。

日米安保条約を新たな時代にふさわしい型に深化させると共に、集団的自衛権の行使についての議論をさらに深めていくべきである。

国家間の戦争という従来型の脅威に加え、テロ(サイバーテロ・生物化学兵器テロを含む)や他国による日本領土への不法占拠、海外資本による土地の買占めなど新しい脅威が生まれつつある。

インテリジェンスと呼ばれる諜報機関を整備・強化し、情報収集・分析能力を向上させる必要がある。現在、それらが充分整備できていない原因の一つとして指摘されている、国会議員への守秘義務規定がないという法律の不備を解消しなければならない。加えて、海外スパイに対する法整備も必要である。

4、「外交・安全保障」のあるべき姿

敗戦後、65年間、平和であり続けた日本が、世界に平和を訴えることや、未だ紛争やテロに直接被害を受けている国や人に対して手を差し延べる事は国としての使命である。また、平和が当たり前である日本において、現代を生きる我々が、過去において日本が何故、戦争をすることになったのか、何故、敗戦から立ち直ることができたのかを今一度、確認することが大事である。

唯一の被爆国として、核廃絶に向けた取り組みと核の傘により保たれている平和の現実を踏まえた、日米安全保障体制を深化させることが求められている。また、憲法改正を行い、9条第2項に自衛隊を明記し、自らの国を自ら守る比重を高める必要がある。

外交については、外務省を中心とした外交に委ねるだけでなく、議員外交を活発化させ、諸外国の議員・有力者・諜報機関などと直接情報のやり取りが出来る環境をつくる必要がある。

第5章---競争のルール

1.「自由競争・規制緩和路線」とは何か

かつて護送船団方式、日本株式会社といわれていた日本経済の発展モデル。しかし特に昭和50年代半ば以降、経済構造の変化、輸出力強化に伴う貿易摩擦の結果、米国を中心とした海外からの産業構造転換への圧力強化等により、日本はやむを得ず、またある面では自ら求めて、市場の自由化、自由主義経済の方向へと突き進んできた。

自由な競争により民間主導の経済の活性化を通じて消費を喚起し、さらにそこから新たなイノベーションを引き起こす投資を引きだすというポジティブなサイクルが日本の競争力を強化するというのが「自由競争・規制緩和路線」のコンセプトである。

これが意味するのは事前規制から事後チェック型社会への転換であり、その基礎的な条件として競争ルールの整備、規制緩和の推進、セーフティーネットの整備が求められた。

具体的には、不正競争防止法による営業秘密の保護や携帯模倣品の規制、独占禁止法等によるカルテルの排除等を通じて、従来の規制を改革あるいは廃止することで参入障壁の撤廃を行い、プレーヤーがフェアに競争し、消費者がその果実を受益できるような仕組みを法的、制度的に整えるということで自由競争の基盤整備を行なうということであった。

また、それに加えて、需要を創出する官公需という側面においても、入札制度改革を通じてより自由な入札を実現し、より幅広い層にその利益が行き渡るような仕組みとその一方で納税者が無駄な負担を負わないような仕組みを整備してきたところである。

2、「自由競争・規制緩和路線」の評価

国際競争が激化し、人口構成が変化する中で、従来の成長モデルでは更なる成長が望めなくなっていた状況と、また実際に小泉政権下では潜在成長率には一定の改善が見られ、雇用、実体経済の指標がマクロで改善したことを考えれば、「自由競争・規制緩和路線」の導入・推進は肯定的に評価されるべきである。

しかし、「結果として格差が広がった」という指摘もしばしばなされる。

現実に大店法の施行以降の地場の商店街への影響、官公需入札の大手への集中による地場の業者への影響のように、地域経済の疲弊を進めてしまったマイナスの面があったことは否定できない。

また一部で規制緩和・構造改革路線はアメリカからの圧力に屈した結果、日本らしさを失ってしまったのではないかとの議論があり、特に市場原理主義批判が強まったアジア危機、イラク戦争、リーマンショックといったタイミングではこうした批判が、野党やメディアを中心に広がった時期があった。

確かに昭和54年のOECD理事会による規制緩和勧告、あるいは平成元年から二年にかけての日米構造問題協議のように、一層の規制緩和や市場自由化を求める圧力は存在した。しかし、内需、外需のバランスのとれた経済をつくる、規制緩和により多くのプレーヤーの参加を求めることで経済の活性化を促すといったことは、日本経済の構造的問題を考えたとき、自ら選択することが妥当と判断し、導入したというのがことの真相であると思われる。

3、「自由競争・規制緩和路線」の課題

自由競争・規制緩和路線はまだ道半ばである。またその時々の時代の風潮に左右されペースが速まったり遅くなったりしてきた経緯もある。まだ道半ばであるが故の問題、農業などもっと進めるべき分野でなかなか改革が進んでいない、事前規制から事後チェックという仕組みがまだ充分に転換できていないといった「まだら」状況は依然存在している。

しかし、もっと根本的な問題として、次のポイントを指摘せざるを得ない。

まず第一に、「自由競争・規制緩和路線」は敗者が必ず出る仕組みである。フェアな競争が活力の原点という考え方だから当たり前である。ゆえに最も大事なことは、敗者が再度チャレンジできる仕組みを整備することである。それなくしてリスクをとる人は出てこないし活力が出てくるはずがない。しかし、いまだに資金面の問題(ベンチャーキャピタル・個人補償)や労働市場の適切な自由化は進んでおらず、一度失敗したら終わりという状況が制度的にも社会環境的にも充分に変えられていない。リスクをとる勇気を大事にする教育も行なわれていない。

また第二に、「格差の拡大」という問題である。地域間格差はそもそも機会の不平等であり是正されねばならない。情報、通信インフラ、教育機会など自由競争社会の基盤となるものの整備がまだ充分ではない。本来、こうし

た差を埋める、地方が自立するまでの一定期間それをカバーする対策は予算的にも必要である。しかし、これまでの地方政策は本来であれば自立できるまでのつなぎであるべき予算がバラマキ的予算として恒常化されてきてしまった事実があり、結果として地域がいつまでたっても自立できないという矛盾を招いてしまっている。

そして第三に、外国との競争という視点が充分ではない点が挙げられる。国内の競争ルールの公正化ということにとらわれすぎた結果として、競争国の知的財産権制度をはじめとした法整備の問題、国際的なルール作りの中でどうやってわが国の競争力を生かせるルールをつくれるかという点の優先順位が下げられてきてしまった傾向がある。また独占禁止法についても同様で、国際的に競争力を持てるようなイノベーションを進めるために莫大な研究開発費が必要な現状を考えれば、独占か否かの判断をする適用範囲の基準として国際競争という視点をその運用において拡大すべきといった問題も存在する。

4、「自由競争・規制緩和路線」のあるべき姿

自由競争は適正に行なわれればその社会の利益を最大化するし、個人の幸福を最大化する。しかし「適正に」というのが非常に難しい。ただ、詳細に検証していくと、自由競争・規制緩和の結果生じたマイナスは、実はそのルールや制度設計であったり、セーフティーネットの仕組み、機会の平等の基盤整備が不十分であるケースがその大半である。

今後の世界経済の構造、人口減少などわが国の今後のおかれる環境を考えれば、農業を含むほぼ全ての分野において自由競争・規制緩和路線を推進していくことが絶対的に必要である。

その際には金融・教育等の点で真のセーフティーネットを整備することはもちろん、国際的な戦略的視野を持って政治が法整備・法執行、国際的なルール作りに取り組むことが不可欠である。

また自由競争の結果いやおうなく、今の世界では製造業を始めイノベーションの果実を充分に得ることが難しくなっている現実がある。人類社会全体のイノベーションを進めていくためにも、技術等の正当な権利の保護についても世界的な規模で枠組みをつくることが必要である。

第6章---教 育

1、「教育」とは何か

人間は生まれてから死ぬまで生涯に渡って学び、教育される存在である。人生において最も教育による影響を受けるのは成長期である。その観点から「子供に対する教育」との意味合いで教育を捉えることとする。

子供が教育を受ける場は、「家庭」、「地域社会」、「学校」と3つあり、本来、政治における教育制度という言葉は主に「学校」教育制度を指すものであるが、子供への影響の度合いからすれば「家庭」が圧倒的に大きな存在である。

近年における子供教育の最大転換点は第二次世界大戦の敗戦であった。それまでの価値観を変えさせられ、学校教育もまた新たな制度にされた。特筆すべきは、教育基本法のみしか制定できなかった点である。本来なら精神指針である教育勅語と実践指針である教育基本法の二本立てで戦後日本人の立て直しをすべきであった。しかし、GHQにより教育勅語が廃止されたことで、精神指針を失ったまま、教育制度だけが決められ、まさに「仏造って魂入れず」の状況が半世紀以上続き固定してしまった。戦後教育の失敗をここに認めることができる。

時代背景と現象から教育を見れば、戦後日本では一次産業から高次産業への転換が起こり、その社会欲求に応える形で学校教育も変遷してきた。

高次産業へ変遷するに合わせていわゆる学歴社会となり、受験戦争と呼ばれる現象を引き起こした。ところが学生運動の苦い経験を経た産業界の要請と、難関突破の反動から大学のレジャーランド化が進んだ。

また家督制度の廃止と働き方の変化に伴い核家族化が一気に進み、伝統的な家族形態が崩壊した。これは子供にとって最も大切な「家庭」教育環境も崩壊されたことを意味する。

高度成長を終えた日本社会では受験戦争の敗者問題と、「家庭」教育が不十分なため「切れる」子供問題が重なり、精神的なゆたかさの必要性が説かれ、「ゆとり教育」が実施された。しかし、ゆとり教育はその趣旨が日教組に歪められ、「ゆるみ教育」となり深刻な学力低下を招いてしまった。

加えて敗戦による思想転換が日教組問題を生み、努力を否定し結果の平等を唱える思想の蔓延と、「個人主義」を突き進める階級闘争が横行し、公共

の精神と道徳心の欠如が浸透している。さらにこのような教育を受けた世代が親世代になり、モンスターペアレント問題に発展、見事に公教育は崩壊した。危機感を持った国民のうち経済力のある国民は公教育から離れるか塾に学力向上の解決策を求め、経済力に乏しい国民との間で教育機会の格差拡大とその固定が起きている。

また近年では少子化の進展により、大学全入時代となり、社会に出たくない若者のモラトリアム機関として大学が使われているといった問題が出てきた。

これらの反省から、平成18年に新教育基本法を制定し、主として学校教育の再生が図られているが、道は険しい。

2、「教育」の評価

日本の教育レベルはいまだに世界の上位である。この点からは、教育システムに問題はあれども一定の評価はされよう。しかしながら、21世紀の現代、諸外国との相対的教育レベルは下がりつつあり、将来が危惧される。

公教育の崩壊が教育機会の格差を生んでいることは決して評価できない。また自民党政権下で行われてきた数々の教育制度改革は、ゆとり教育を一例としても、対症療法的であった感は否めない。

しかしながら、遅きに失したとはいえ「個人主義」からの脱却をはかり、公共の精神、道徳心、家族愛、祖国愛などをもった日本人の育成を目指す、新教育基本法の制定は評価される。新教育基本法の制定にともない、教育三法の改正、新教育指針の決定、新教科書の採択、新カリキュラムの導入と公教育の現場は徐々に変わりつつある。

新教育基本法には「幼児教育」の重要性が盛り込まれた。この点は評価できるが、就学前児童への教育が厚労省と文科省に分かれ、子供が制度の狭間に落ち込んでいる状況は評価できない。

教科書検定制度における教科書採択のあり方、教育現場に政治を持ち込む日教組に対して、適切な対応を怠った責任は自民党政権にある。「日の丸、君が代」問題や行き過ぎた性教育、自虐的歴史教育とそれにともなう間違った領土認識の植え付け、何より「個人主義」の横行など、日教組の弊害は枚挙にいとまがないが、それを阻止できなかった点は全く評価できない。

3、「教育」の課題

自民党政権下で日本経済は発展し、日本国民は豊かになった。その一方で、「家庭」教育環境は核家族化の進展によって崩壊した。この責任は重い。生物としてのヒトが社会の構成員としての人間になるためには、最低限三世代の知恵が授けられる「家庭」教育環境が必須である。これを再構築しない限り教育の再生も「個人主義」からの脱却もない。まず、三世代で生活できる環境をあらゆる政策を駆使して整える必要がある。三世代同居減税、同居家族への生前贈与減税など税によるインセンティブをはじめ、転勤抑制といった産業界への働きかけ、地方で生活が営めるような産業改革など、教育とは無関係のように見えるものも重要である。

次に公教育の再生が急務である。公教育が高いレベルであれば教育機会の格差は生まれない。公教育を再生するためには日教組解体が必須である。教職員がすべて横並びといういわゆるナベブタ式組織体系は望ましくない。校長の裁量と権限を大幅に増やし、ピラミッド型の組織体系に変えなければ、学校を運営できない。さらに学校と地域が一体となって学校運営できる仕組の拡充が望まれる。

日教組解体の具体的な方策として、日教組に対抗しうる新教職員組合を作る、教職員の組合活動の抑制や政治活動の禁止と罰則規定を設けるなどが、あげられよう。加えて、新教育基本法に沿った公教育、全国学力テスト、教員免許更新制度を実施することが再生への近道であろう。

幼児教育においては、その重要性が認識されるに至ったことを受けて、幼児教育の機会平等を確保するための施策が必要である。また保育園行政と幼稚園行政は一本化して、縦割り行政の弊害を一刻も早く取り除くべきである。

高等教育の重要性は、国際競争という点からますます上がっている。また世界のトップレベルの頭脳育成以外にも、日本社会の構成員を育成する役割も失われていない。この二つの社会要請に応えるために、大学の入学定員は削減し、大学の統廃合を推し進めるべきである。大学に総量規制を課すことで大学教育の質を維持し、その社会的責務を果たさせるべきである。また世界レベルの頭脳育成のためにも資源の選択と集中が必要である。力を分散しては世界に伍して戦えない。頭脳集積の環境を整えて、世界から頭脳を呼び、世界へ頭脳を磨きに出させる。大学は国際社会への窓口になるよう改編することが求められる。

4、「教育」のあるべき姿

「家族の再生なくして、教育の再生はない」との認識を国民全体で共有し、家族の再生を目指すべきである。もっとも大切な「家庭」における教育の充実こそ、教育の目指すべき姿と考える。

新教育基本法はその目標に「人格の完成」を、その目的に「人格の完成」を目指すのに必要な具体的な指針を掲げている。そして全体を通じて、戦後教育の指針に抜け落ちた、精神的な支柱を盛り込んである。

つまり、教育をとおして自助自立した国民を育成し、自立した国民が努力を重ねた結果、報われる公正な社会を創らなければならない。

それゆえに、新教育基本法の精神を具体的に実現できるよう、公教育の現場に公正かつ適切な環境を整えなければならない。