論文・著作

米国報道によって呼び覚まされた神風 
―Kamikaze Attack―

2001年10月執筆

Remember Pearl Harbor は Magic Words(呪文)?

真珠湾攻撃以来の攻撃がなされた、と幾度となく報じられた9月11日の同時多発テロは、米国の経済と国防の中枢を破壊することで米国の威信を失墜させ名誉を汚した。しかしながら、このテロ行為を報じる中で日本の名誉も著しく汚された側面がある。それは、今回のテロ行為をkamikaze attack と表することである。

真珠湾攻撃以来という表現に対しても、不快な気持ちを抱いた日本人は多々いるだろう。では、なぜ真珠湾攻撃以来といわれなければいけないのか。これに対しては、様々な見解があると思われるが、奇襲だということが一番大きな要因のように思われる。米国の教育現場(米国史)でも真珠湾攻撃は典型的なSneaky attack(奇襲)として教えられている。従って、真珠湾攻撃以来だという報じ方に日本に対する感情を表すというよりも今回のテロ行為が、いかに奇襲であったかを表現したかったのだといえる。

このような場合、真珠湾はどうしようもなく米国人の心の中に浸透しており必ず出てくるマジックワードみたいなものだ、と諦めるしかない。しかし、軍部関係者や識者は、真珠湾攻撃が本来は奇襲作戦ではなく、当時の日本軍部と外務省の一致した行動が取れずに、結果として奇襲になったと言うことが理解されている、ということもここで記しておきたい。もちろん、死傷者の総数で論じれば、今回のテロの方が真珠湾を遥かに上回ると思われるが、この事件が後世においても真珠湾を越えることはないだろう。それほど、真珠湾攻撃というものがインパクトがあったのである。

当時の日本軍部に奇襲攻撃をしようという意図が無かったことから考えると、やはり、あのような報道のあり方には、疑問を抱かざるを得ないが、結果として明らかな奇襲攻撃であったのも事実であり、その種の解釈を受け入れなければいけないのかもしれない。

米国ではテロ行為と神風特攻隊が一緒?

しかしながら、それ以上に気分を害される報道がある。それは、飛行機で建物に突入した今回のテロ行為をkamikaze attackと表現することである。事件の翌日(9月12日付け)のワシントン・ポスト紙は、「キャピトル・ヒルで、別のkamikaze attackの恐怖のなか建物から職員が全速力で走ったときに“走れ!走れ!走れ!”と叫ぶ警察官がいた」と報じている。同紙は9月13日付でも「テロリストはダレス国際空港からペンタゴンへのkamikaze attackに強行した」と記している。更に、同紙の9月16・18日付ではテロリスト達の行為そのものをkamikaze missions と表記し始める始末である。16日付のそれは「火曜日、ローガン空港から飛び立ったtwin kamikaze missionsは・・・」、18日付では「当局はkamikaze missionsのために4機のジェットを奪う前に、テロリストがどのように入国したのかを調査している」と記している。飛行機で目標物に操縦者もろとも突入するテロ攻撃を神風攻撃(kamikaze attack)という代名詞を用いていたのが、いつのまにか今回のテロ行為そのものまでもが、神風任務(kamikaze missions)と報じられるようになってしまったである。

9月20日付けに掲載されたMARK J.SHUMATE氏の投書にも大きな憤りを感じた。そこには「第二次世界大戦時、日本人は彼等の神のような天皇のために軍務として神風攻撃に従事した。しかし戦後、米国は日本と他の敗北した侵略国と共にあり、そして彼らが安定した社会を建設するのを助けた。それが今日、我々が日本或いはドイツのテロリストを恐れない理由である」と記されていたのである。このような投書を採用する側の見識も疑わしいが、米国の一般市民のレベルにおいても神風特攻隊と今回のテロ行為を同列に扱い議論することがあるということが、この投書からも見て取れる。

ワシントン・ポスト紙には、他にも神風特攻隊と今回のテロ行為を比較する内容を含んだ記事がある。例えば(9月24日付)、86歳になるJoe Burstein氏のコメントとして「しかし、これ(今回のテロ)は、奇妙な、或いは新しい現象ではない。第二次世界大戦時に神風があった、彼らもまた、自殺している」と、ここでも神風とテロ行為が同義として論じられている。

また、9月25日付では、ナショナル空港閉鎖に言及している記事の中で「第二次世界大戦中、神風急襲にも拘らず、ナショナル空港は絶えず稼動していた」と報じている。当たり前である、日本はアジア地域で戦争はしたが、米国本土では戦闘はしていない。従って当時の米国政府が、空港を閉鎖する理由は全く見当たらないのである。この文脈から判断すれば、この記事の中では、今回のテロと神風特攻隊は全くの同義で語られている。

他方、ワシントン・タイムズ紙には、あまり今回のテロ行為をkamikaze attackという代名詞で表記していることが少ない。筆者が気が付いたのは、9月25日付けのNY市長選挙に関する記事の中で代名詞として使用されたぐらいである。

米国の知らないKamikazeがあった。

ワシントン・タイムズ紙(9月21日付)では、一面ぶち抜きで神風特攻隊に関する記事と元神風隊員のインタビューを掲載した。この記事では、なぜ神風と呼ばれているのか、元寇の時の台風の話やどのような経緯で特攻隊が結成されたのか、どれくらいの年齢層のパイロットが操縦桿を握り死んでいったのか、そして合計3人の特攻隊員の遺書を紹介するなど丁寧に神風特攻隊を説明した。もっとも、この記事も今回のテロで死んだテロリスト達が、特攻隊員のように遺書を家族に宛てていないか、という書き出しで記事が始まっている。そして、残念ながらこの記事には大きな間違いがあった。神風特攻隊が、米国の航空母艦を一隻も撃沈し得なかった、と記しているのである。

神風特攻隊は、昭和19年10月25日、フィリピンのレイテ島の作戦において、はじめて決行された。最初の志願者は当地に進駐していた海軍第1航空艦隊第201航空隊所属の搭乗員24人。最初の指揮官、関行男大尉は自ら空母セント・ローに体当たりし、同艦の火薬庫を誘爆させ、艦艇は二つに折れて沈没した。従って、記事のように特攻隊が空母を撃沈してないというのは、誤りである。また、些細なことではあるが、神風特攻隊の起案者を海軍中将Takajiro Ohnishiと記しているが、実際は大西瀧治郎(おおにし たきじろう)である。また、神風特攻隊の起案者が誰であったかについては、議論の分かれるところである。そして、この記事は元特攻隊員の遺書で締め括られている。

ここで筆者も一人の特攻隊員の遺書を紹介したい。これは、はじめて行われた特攻作戦に従事した植村眞久少尉が残したものである。彼は、作戦が決定された際、彼自身が予備学生出身、そして飛行時間が少ないことによって特攻隊員への選抜から漏れるのではないかと心配していたと伝えられている。

『素子、素子は私の顔を良く見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大きくなつて私のことが知りたいときは、お前のお母さん、佳代伯母さんに私の事をよくお聴きなさい。(中略)お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。(中略)お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。(中略)追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教えてあげます。』

今回のテロの実行犯にも少なからず家族がいたであろう。そういった観点から考えれば、彼らにも同情の余地が無いわけでもない。しかしながら、忘れてはいけないのが、真珠湾攻撃にしても神風特攻隊にしても軍人が軍人に対して、軍事組織が軍事組織に対して攻撃を仕掛けたケースであって、一般乗客を巻き添えにして旅客機でオフィスビルに突入し、多数の罪無き人々を殺戮した今回のケースとでは、同列に比較することは論理的で無いと言うことである。

Kamikaze attackとTerrorismの違い。

当初の特攻作戦への従事は、明らかな志願制であったが、戦争末期での制度は志願制としながらも半ば強制的であったのも事実である。このことは、ワシントン・タイムズ紙9月21日付の元特攻隊員、Kenichiro Onuki(80)氏の証言でも明らかである。彼は「神風を拒否した人たちが、もっとも危険な前線に送られて、いずれにしても死んだ」また「もし、あなたが拒否すれば軍があなたの家族にその事を告げに行き、あなたの村にもその事を伝え、あなたの愛する人は恥の中で生きねばならなかった」と答えている。つまり、苦渋の選択を迫られ特攻作戦に従事した隊員が少なからずいた、ということである。

一方で、今回のテロ行為に関与したのではないかと報じられているウサマ・ビン・ラディン容疑者の一派は極めて特殊な世界観を有し、イスラムの中でも異端の少数派だといえる。なぜなら、大半のイスラム社会でタブーとされてきた自爆テロを聖戦と称して積極的に奨励しているからである。また、一説によると自爆テロ実行に対して報償金を出したり、その実行犯の家族の生活や子供の養育費の保障をしたりしているとも言われている。このような側面からも今回のテロ行為と神風との違いを見出すことが出来る。

もっとも驚かされたのは、ワシントン・タイムズ紙(9月26日付)の中で、今回のテロ行為で旅客機を操縦し目標物に突入した犯人をkamikaze pilotsと記していることである。明らかなことは、彼らは神風特攻隊員ではないということ。そして、特攻隊員はいかなる民間人も犠牲にしなかったということである。

加えて、神風特攻隊は、昭和20年8月15日の宇垣纏中将が決行したものが最後である。それ以降、神風特攻隊はこの世に存在しない。この作戦も最後としていいのか議論の分かれるところである。なぜなら、玉音放送で無条件降伏を知った後に彼は、自ら特攻出撃するため山本五十六元帥から拝領の脇差を手に、翻意を進める幕僚に対して、「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と述べ、有志の者達と共に神風特攻を決行したからである。この行為は、戦後混乱のために不問にされたようであるが、海軍刑法(明治四十一年法律第四十八号)第二編罪、第二章、第三十一条「指揮官、休戦又は講和の告知を受けたる後、故なく戦闘を為したるときは、死刑に処す」に抵触している恐れがある。しかし、戦闘機によって軍艦に体当たりしたのは、これが最後の記録でもある。

既に日本軍は無く、もちろん神風特攻隊への志願を募ってもいない。従って、現在の世の中に元特攻隊員は存在してもkamikaze pilotは、存在し得ないのである。神風作戦に従事した大半の将兵は、様々な思いと共に戦死し、わずかな生存者も戦争を知らない我々世代が想像も出来ない複雑な思いを胸に抱いているはずである。今回の許されざる非人道的な行為における罪無き被害者達に安らかな眠りを祈ると共に、この事件をKamikazeと報じることによって安らかに眠っている戦没者をいたずらに呼び覚まさないで欲しいと願うだけである。

2001年10月執筆

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