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同時多発テロ後、世界は本当に変わったか

2002年9月執筆

昨年9月11日に生じた米国同時多発テロから一年が経過した。同時多発テロによって全てが変わったとよく耳にする。それは、安全保障の分野においても同じである。寧ろ、安全保障の分野が一番変わってしまったのかもしれない。しかし、本質的な安全保障の問題まで全て変わってしまったのであろうか。

先日、ある報道番組で「これからは(テロ後)、国家間の戦争は無くなり、ゲリラや大規模テロなどの国家としての組織をもたない人たちとの戦いの時代になってくる。そのような状況に対応すべく政策転換をする必要があるのではないか」と述べていた。確かに、ゲリラや大規模テロに備える施策が必要である、という点では全く同感である。北朝鮮などの工作員が、日本国内でいつ破壊工作を起こすか分からない状況があり、またオウム真理教による地下鉄サリン事件のような大規模テロを既に日本は経験している。従って、ゲリラや大規模テロにどのように対処するのか、それに対する法整備を行なうのは当然である。加えて、それらの事柄は、日本にとっては同時多発テロ以前からの課題であり、取り組むのが遅すぎると言える。

ただ、同時多発テロによって、その後の国際社会のなかで国家間の争い事が無くなっていくとは考え難い。「国家間の戦い」から「国家と非国家組織との戦い」の時代に移るのではなく、「国家間の戦い」だけでなく「非国家組織との戦い」という要素がその重要性を瞬く間に高め加わったにすぎない、と考えるのが妥当だと思われる。それは、同時多発テロが起きる以前の事を考えてみれば、容易に分かる。

テロ以前は、米国が構想しているミサイル防衛計画に関心が集まっていた。日本が、そのミサイル防衛計画にどのように関わっていくのか、或いは、関わらないのか。確かに、テロ後、ミサイル防衛の話題は陰を潜め、アフガン攻撃やインド洋への自衛隊派遣、そして、ブッシュ大統領の悪の枢軸発言に始まったイラク問題などの話題が中心となった。しかし、日本にとって安全保障上の不安定要素は、テロの存在の有無にかかわらず相変わらず存在している。それらの主なものは、第一に朝鮮半島情勢(特に北朝鮮の動向)、第二として中台問題が挙げられる。これらは、双方ともに国家間で生じている問題であり、米国で同時多発テロが生じたからと言ってその問題が一瞬にして消えてしまったわけでは無い。今もって現実に存在している「国家間の戦い」としての不安定要素である。

もし朝鮮半島で武力衝突が起きれば、もし中台間で武力衝突が起きれば、そして米国がそれらに介入すれば、米国の同盟国である日本に向かって、また在日米軍基地などを標的にミサイルが飛んでくる可能性は非常に高い。それに対処できる可能性があるシステムが、米国の構想しているミサイル防衛である。現在、日本はその構想に対して「理解する」という立場をとっている。しかし、中国では中距離ミサイル「東風3号」、「東風21号」など数十基が日本に向け配備されている。また北朝鮮も中距離ミサイル「ノドン」が数百基配備済みだと指摘されている。それらの予想されうる危機に対して日本は、米国の構想に対して「理解する」という立場でよいのであろうか。日本には、どんな盾をも貫く矛(ミサイル)を持つことは出来ない。ならばどんな矛をも防ぐ盾(ミサイル防衛)だけでも保有すべきではないか。