論文・著作

テロ活動への合法的報復
―米国大使館爆破事件に評決下る―

2001年5月執筆

先日、私が、国家は確固たる外交・安全保障政策を確立しなければならない、と再確認した事件に対する評決が下ったので、それについて述べることとする。投票行動の顕在化効果については、また、別の機会で報告したいと思う。  5月29日、New Yorkで連邦陪審が、三年前にケニヤとタンザイニアにある米国大使館を同時爆破した事件に共謀したとして4人の男性(表1参照)に有罪を宣告した。この事件は、1998年8月7日の早朝に起き、一瞬にして米国人12人を含む224人を殺害、約4,600人の負傷者を出した。

表1
容疑者Mohamed Rashed Daoud OwhaliKhalfan Khamis MohamedWadih HageMohammed Saddiq Odeh
年齢24274035
国籍サウジアラビアタンザニア米国ヨルダン
逮捕1998年、8月・ナイロビ1999年、10月・ケープタウン1998年、9月・ニュー・ヨーク1998年、8月・パキスタン
役割ナイロビのテロ活動に対して手榴弾受け渡しとトラックの運転タンザニアのテロ活動に対して爆発物製造テロ活動に加わった少人数のテロリストの指導者グループにおけるテクニカル・アドバイザー

この4人の他に、18人の容疑者が告発されており、その内6人がすでに拘留され審理を待っている。しかし、残る12人は、いまだ逮捕されていない。その中には、指導者であるOsama bin Laden と腹心の2人も含まれており、彼らはアフガニスタンの山中に潜伏中である、と報道されている。現在、米国国務省は、指導者のOsamabin Ladenの逮捕に対して$500万の報償金をかけている。

では、なぜ私が、この事件に対してこのように関心を示しているのか。当時、私はボーイスカウトのリーダーとしてケニヤで行われるジャンボリー(大きなキャンプ)に参加するためにケニヤに滞在していたのである。そして、キャンプをしている最中、大使館爆破事件が起き、私はボーイスカウトとして、この事件の救援活動に参加したのである。現場の光景は、見るも無惨なものであり、怒りと疑問しか浮かんでこなかった。なぜ、自分たちの主義主張を訴えるためにここまでの事をやらなければいけないのか、私には到底理解できない光景であった。

私の隣のテントサイトのスカウトの母親が、大使館の隣のビルで仕事をしており、事件に巻き込まれ他界された。そのこと自身もかなりショックであったが、それ以上にショックを受けたことは、彼が、急いで家に帰らないことであった。そのキャンプに参加するには、$200程度を支払わなければいけなく、彼らにとっては、その金額は貴重であり、家に帰っても母親が生き返るわけでもないので、一緒に引き続きキャンプを楽しんだほうが、母親も喜ぶだろう、と言ってそこに留まったのである。その時は、何も言葉が浮かばなかった。

5月29日の法廷は、100人を越える被害者の関係者と報道陣で鮨詰め状態になった。そして、陪審員の67ページにもおよぶ評決書を陪審員の女性職長が一時間以上も「有罪…有罪…有罪…有罪」と読み上げる、といった鮮烈なものとなった。彼ら、4人は302件にのぼる告発において全て有罪判決を下されたのである。うち2人は、おそらく死刑になるであろう、と報じられている。死刑が決定すれば、海外で米国人を標的にしたテロに対して連邦裁判所が下す、初めての死刑判決のケースになるだろう。他の2人は、その一生を刑務所で過ごすことになるであろう。刑罰の判決は、もうすぐ決定される見通しである。

米国は、テロ活動に悩まされ続けているが、このことはいずれ日本にも降りかかって来る事ではなかろうか。現在、日本の政府与党は、集団的自衛権の行使における法的解釈を変更することに好意的発言を繰り返し、また、国連平和維持軍(PKF)本体業務の凍結解除についても積極的な発言をしている。加えて、昨年十月、日本に集団的自衛権の行使を迫ったアーミテージ米国務副長官らの報告書や、ブッシュ米政権からPKFの凍結解除の要求がなされるなど、今後日本が国際的役割を担う可能性が出てきている。日本が国際的な役割を果たして賞賛する人たちや喜んでくれる人たちも居るであろう、しかし、ともすれば新たな国際的な敵を作り出す可能性も含んでいることも事実である。これまで、米国は積極的に国際的役割を果たしてきた。日本はその庇護の下に奇跡とも言える戦後復興を成し遂げ、その後も、経済に特化し、成長をし続けることが可能であった。少なくとも我々は、米国に感謝の意を抱いてもおかしくは無い。しかし、彼らの行動を快く思っていない人々が存するのも事実である。故に、あのような忌まわしき爆破事件が起こり、米国は、度々、テロの対象にされて来ているのである。

集団的自衛権の行使に関しては、もっぱら行使を認めるか否かの議論がなされているが、本質的な問題はそこには無い、と私は考えている。つまり、重要なことは、いかに集団的自衛権を管理・運用していくかが、問題なのである。その方法を間違えれば、新たな国際的な敵を生み出すだけになるのではないだろうか。

日本が、(軍事的)国際舞台に登場するには人・人々を「救う」という大義名分が大事である、と私は考えている。しかし、この米国大使館爆破事件を見ても分るように、誰一人救われてはいない。被害者はもちろんのことテロリストも被害者の関係者も救われてはいない。被害者が、評決が下ったあとに「正義は守られた。」と喜んでいたが、ここに本質的な喜びは無いであろう。そもそもテロ活動自体が不毛であるからである。現在、日本の政府与党は、外に出よう、出ようとしているが、目的なき出航・針路なき航海は、危険な冒険というよりも単なる無謀な行為にすぎないのではないか。英断を持って、日本が(軍事的)国際舞台に登場し、今まで行えなかったような国際的役割を担い、国際貢献を果たしたとしても。米国のように度々テロの標的にされるような状況に陥れば、それは不幸と言うしか言いようが無い。そのような事態を避けるためにも、先ず、船出を決定する前に政府与党は、目的と針路を我々に示していただきたいものである。

2001年5月執筆

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