論文・著作

靖国問題に継続した議論を

2001年9月執筆

毎年7月から8月にかけての約一ヶ月間、靖国神社の参拝問題が、まるで期間限定の商品かのように話題になる。特に今年は、小泉首相の異常ともいえる人気と比例するかのように他の年に比して大きな話題となった。しかしながら、“喉もと過ぎれば暑さ忘れる”で9月になれば靖国問題は忽然と姿を消す。これでは、毎年同じことの繰り返しである。黙っていても来年の夏はまたやってくる。必ず起きると分かっている問題に指をくわえて対処しないのは、賢明な策とはいえない。この問題には、一時的な議論ではなく継続した議論が必要不可欠であり、日本政府は何らかの改善策を図らねばならない。本稿では、この問題が米国でどのように報じられたか、そして、靖国神社の歴史的背景を振り返りつつ、この議論を継続させるための一石を投じることを試みる。

久しぶりにワシントン・ポスト紙(8月14日・16日付)で日本のニュースが大きく取り上げられた。先日の田中外相と外務省幹部たちをまるでプロレスラーの軍団のようだ、と報じて以来だろう。その日本のニュースというのは、8月13日に小泉首相が靖国神社に参拝したことを報じている。その記事では、中国や韓国の政府筋の発言や教科書問題までも関連して論じた。

その記事(14日付)には、日本人が3人登場するが、3人とも参拝を容認する声であった。一人目は、77歳のニシムラ・アキラ氏「小泉氏の訪問は日本の素直な姿勢を表している。これはいいことだ」。2人目は、40歳のイクタ・コウ氏「他の国々は不平を言う権利がある。しかし、我々はそれらに従う必要は無い」。3人目は、73歳のイナミ・タツオ氏、この人のコメントは凄い。正直、おっ出たな、という感じだ。真打ち登場といったところか。「大東亜戦争は、基本的に自衛でした」。あ〜、言ってしまった。この太平洋戦争と言わず、大東亜戦争というところが、なんとも言えない。

加えて、なんと!このイナミ氏なる人物は紙製の日章旗の小旗を二つ握り締めて靖国神社に立っていた、というのだから驚きだ。どこでそんなものを手に入れたのだろうか。それに日章旗を握り締めて靖国神社に立っている彼を見つけ出したワシントン・ポスト紙の記者も凄い、脱帽である。

しかしながら、この記事の冒頭では、韓国政府の「日本の総理が戦犯たちに敬意を払うのではないか、という我々の懸念を表現できる言葉を見つけられない」というコメントを載せ、「小泉総理の参拝計画に抗議するために、約20人の韓国人が小指を切り落とした」と記した後に、日本人3人の参拝容認の声が載せられているので、何ともいえない構成である。

靖国神社には正式に
A級戦犯が合祀されている

またこの記事(14日付)では「日本国内、海外で死亡した250万の霊を祀り、彼らの名前は名簿に記されることで祀られる。1978年(昭和53年)に靖国神社の神官がそっと、戦犯たちの名前を名簿に記し、その後、その行為が発覚してからも分祀するのを拒否した」と報じられているが、それは少し事実とは異なる。

昭和62年11月に神道政治連盟から発行された『TA級戦犯とは何だU』によると「昭和41年には、いわゆる“A級戦犯”の祭神名票が引揚援護局から送付されましたが、これを受けて靖国神杜は崇敬者総代会において、“A級戦犯”合祀を了承しました。しかし、当時国会において「靖国神社法案」(昭和44年から審議されていましたが昭和49年廃案。)が審議されていたなどの種々の事情があって考慮され、昭和53年、再度の崇敬者総代会の了承を得て同年の秋季合祀祭においていわゆる“A級戦犯”は昭和殉難者として合祀されたのです。」とされている。従って、報道のように“そっと”というのは間違いであり、堂々と合祀している。

また、なぜ、分祀を拒否したと報じられなければいけないのかも、理解に苦しむ。なぜならば、靖国神社は終戦まで陸軍省、海軍省の共同管轄下にあり、祭神の選定も両省が行なっていたが、両省が廃止されてからは、厚生省が戦争による「公務死」と認定したものを神社において合祀することになった。昭和31年4月19日、厚生省引揚援護局は「靖国神社合祀事務協力について」という通知を同局長名で都道府県に対し発している。そして、靖国神社は、厚生省の引揚援護局より送付された通知「祭神名票」により新しい祭神の合祀を行なった。その後、その範囲が拡大し、軍の要請によって戦闘に参加した満州開拓団、義勇軍など、また国家総動員法に基づく徴用者、国民義勇隊員、徴用された船舶の船員なども含まれるようになり、戦争裁判による確定判決を受けて死亡した者(いわゆる“戦犯”)も昭和三十四年の春季合祀祭において一般戦没者と共に初めて合祀された。その後、数次にわたり戦犯の合祀が行われ、前述のように所謂A級戦犯たちも昭和53年に合祀されたのである。

このように正式に手続きを踏んでいるなかで、靖国神社の神官が分祀を拒否したと報じられるのは分かりかねるし、なぜ、分祀しなければいけないのか、報じる側には説明責任があるのではないか。

靖国神社は昭和殉難者を
合祀する責務を負っている

また、報道や他国のコメントの中に度々、戦犯という言葉が繰り返し出てくるが、これに関しても靖国神社の見解は明瞭である。「昭和殉難者靖国神社合祀の根拠」(昭和六十一年三月一日号)として社報「靖国」で「昭和27年4月28日、講和条約発効翌年の第十六国会の議決により援護法が改正され、連合国側が定めたA・B・C級等の区分には全く関係なく、法務関係死亡者、当神社の呼称する昭和殉難者とその御遺族が、一様に戦没者、戦没御遺族と全く同様の処遇を国家から受けられる事になったと言ふ事実を篤と認識されたい。援護の実施は、さかのぼって28年4月1日からと決った。従って所謂A・B・C級戦犯刑死の方々は、その時点を以て法的に復権され、これを受けて、靖国神社は当然のことながら合祀申し上げねばならぬ責務を負ぶことになった。」と述べている。

また昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効、その直後の30日の国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が成立。戦後はじめて国による遺族援護が行なわれるようになった。翌年8月1日には同法の一部が改正され戦争裁判による死亡者も適用対象者として認められ、遺族に対しても一般戦没者と同様に遺族年金および弔慰金が支給されることになった。

そして、恩給に関しても、昭和29年6月30日の恩給法改正によって、拘禁中獄死または刑死した者の遺族は一般戦没者の遺族と同じ処遇を受け、戦争裁判受刑者本人に対する恩給も昭和30年の同法改正によって拘禁期間を在職期間に通算し、加えて拘禁中の負傷または疾病を在職中の負傷または疾病と見なし、同様に支給されるようになった。

この一連の法改正により、戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は、一般の戦没者、戦傷病者と同様の取り扱いを受けることとなり、国がA級やB・C級とを問わず戦争裁判による死亡者を一般戦没者と同様の戦争による公務死と認定し、これを「法務死」(公文書では法務関係死亡者“法務死”という)と称して国内法上の犯罪と区別してきたのである。

また、戦犯と呼ばれている人達がどのような過程を経て、戦犯となったかにも真正面から焦点を当てるべきなのではないだろうか。東京裁判の判事の中で唯一の国際法の学者であったインドのパール判事は、「東京裁判の被告は全員無罪だ」と言った。明らかに、東京裁判が戦勝国の論理で進行、運営されたものであることは疑いの余地のない点であり、もう一度、考察し直すことに意義はないだろうか。

小泉首相が靖国神社を
参拝する理由

14日付のワシントン・ポスト紙の記事では、小泉首相が、なぜ、靖国神社に行ったのかについても幾つかのコメントを載せている。「その行動は、小泉氏の本当の右翼的政治を示した」或いは、「神社訪問は単純で、小泉氏の戦死した人を尊重しなければいけない、という彼の個人的確信の結果である」と報じている。これらのコメントは、特段間違ってはいないであろう。小泉氏が靖国神社に参拝した際、人目をはばからず、涙したと言われているが、その気持ちも良くわかる。

靖国神社では、毎月社頭に御祭神の遺書・書簡等を掲示している。7月の社頭掲示は以下の通りである。

『靖国神社で会ひませう』陸軍少尉 瀬谷隆茂 命
(昭和20年5月28日、沖縄にて戦死、群馬県勢多郡出身 20歳)

御父さん、お母さん、愈々隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。沖縄まで〇〇粁を翔破すべく落下タンクを吊り〇〇〇キロの爆弾を抱いた、機が緑の飛行場で武者振るいして自分の乗つて呉るのを待つて居ります。明日会う敵は戦艦か?空母か?それとも巡洋艦か?・・・・・。きっと1機1艦の腕前を見せてやります。明日は戦友が待つて居る靖国神社へ行く事が出来るのです。日本男児と生まれし本懐此れに過ぐるなし。御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。では、又靖国でお会ひしませう。待つて居ります。最後に、御両親様の健勝を切にお祈り致します。 隆茂 御両親様

この遺書を読んで心動かない人がいれば、私は、間違いなくその人の見識を疑うであろうし、彼のご両親や戦友は機会あるごとに靖国に行くだろう。そこに、国民の代表である、政治家が参拝を希望するのは、極自然の流れではなかろうか。

また、この記事では、「1985年に中曽根元首相だけが、唯一日本の総理として公的に靖国に参拝した」としているが、これもまた奇妙なことである。昭和20年11月に幣原首相が靖国に参拝している。しかし、GHQの指示で、戦没者の慰霊祭への公的関与は一切禁止された。その後サンフランシスコ平和条約が署名されると、吉田首相が、その批准を待たず、まだ占領中であるにも拘らず、“戦没者の慰霊祭等への公人の参拝差し支えなし”という占領軍の許可を得て公式参拝を行っている。そして、吉田は4回、岸は2回、池田は5回、佐藤は11回、田中は5回、首相として公的形式で参拝しているのである。 それに公式か私的かが、論じられるようになったのは三木首相(私人として参拝したと説明)のときからであって、それまではそのような論争は無かったのである。そして、その後福田首相が、その先例を踏襲し、私的参拝なるのもが主流となったのである。

誰のための
靖国神社なのか

そもそも靖国神社とは、明治2年に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃(たお)れた人達を祀るために創建された。当初、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。表1を見ても分かるように、第二次世界大戦の戦没者たちだけを祀っているわけではない。

表1:靖国神社御祭神戦役・事変別柱数
明治維新7,751西南戦争6,971
日清戦争13,619台湾征討1,130
北清事変1,256日露戦争88,429
第一次世界大戦4,850済南事変185
満洲事変17,175支那事変191,218
大東亜戦争2,133,760合計2,46 6,344

(平成12年10月17日現在)

単純に数だけで論ずれば、第二次世界大戦時の数が他に比して多いのは明らかである。だが、それは戦争そのものの規模や兵器の発達などが理由であって、どちらにしても靖国神社は先の大戦のために創建されたものではない、ということは明白である。

16日付けのワシントン・ポスト紙のワールド・ニュース面のトップを日本のニュースが飾った。カラー写真が3枚、一枚は全国戦没者追悼式で天皇、皇后両陛下に見守られながら一礼をしている小泉首相、二枚目は旧帝国海軍の軍服を着用して靖国神社に参拝している元軍人、そして三枚目は、在韓日本大使館に抗議している韓国人、とかなりスペースをとって報じている。内容は、小泉首相が「世界の中で恒久的な平和を築くために我々の近隣諸国と友好関係を発展維持させなければいけない。」と述べていることを報じつつ、韓国の民族解放記念日における金大中大統領の演説などを引用しながら、小泉首相の言動と行動、そして近隣諸国との意識の乖離を報じた。この種の報道は容易に想像がついたが、この記事の最後は、非常に興味深い締めくくりをしている。

「トレードマークの黒塗りのバスで軍歌とスローガンを大音量で流す、右翼活動家たちが、戦争を正当化するために、一つのスローガンをバスの中から読み上げた。“これは侵略戦争ではなかった”」と記した後に、「他の神社に集まった人たちは、それらの活動家たちを受け入れないと言った、そして、ただ戦争で死んだ大切な人、或いは、同僚のために来た」と報じた。そして、最後に83歳のタケヤ・ソウ氏の一言が載せられている。「私は、最愛の兵士たちを失った。あらゆる国には、愛国者がいる。我々には、我々がいる。」

彼の言葉が、全てではなかろうか。私は、この新聞をバスの中で読んでいたのであるが、私も小泉首相同様に人目をはばからず、涙が出てくるのを抑えることが出来なかった。

毎年のように様々な議論が、噴出して首相の参拝もままならない。天皇陛下の御親拝は更に難しく、日本にこられる外国元首にも足を運んで頂けない。議論にも参加できず、一番困惑しているのは靖国神社に祀られている250万の霊魂であろう。いつまでも外交ゲームのカードとして扱うのはやめにして、早急な改善策を政府は考えなければいけないのではなかろうか。

サンフランシスコ
講和条約と日米関係

政府与党・野党・小泉首相、そして、マスコミは靖国問題を近隣諸国、特に韓国や中国との問題として取り上げる。しかし、本質的な問題はそこにはないように思える。では、問題はどこにあるのか。靖国問題は最終的に日米関係にたどり着くのである。戦後日本が戦争当事国とならずに平和と安定を享受し繁栄を築けたのは、日米同盟のおかげである。そして、その日米関係の始まりは、サンフランシスコ講和条約だと言っても過言ではないであろう。

日本は、サンフランシスコ講和条約の第4章:政治及び経済条項(PORITICAL AND ECONOMIC CLAUSES)の第11条で日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する、とされている。従って靖国神社参拝は、連鎖的に東京裁判史観や米軍の日本占領の正統性に疑問符を投げかけている、と米国では受け止められるのである。靖国問題は、小泉首相らが考えているように極東アジアだけの問題ではなく、本質的には日米関係にまで問題が行き着くということを示している。

それにしても理解に苦しむのが、靖国神社に参拝したからと言って、東京裁判の決定を不当だ!と訴えている、ということになり得るのだろうか。誰もそんなことを主張してはいない。また、サンフランシスコ講和条約を反故にしたい、と思っている政治家もいないはずである。

では、どうすればよいのか。以下は、一つの改善策としての若干の私見である。第一に、戦後補償を全て完了する。太平洋戦争(大東亜戦争)に関係した国全てに日本国から、改めて戦後補償交渉を行なう。目的は、二度と先の大戦について全ての事柄を外交問題にしない、させないため。原則、相手国の要求通りに満額を支払う。但し、日本国に対して債務を負っている国は、日本に対してそれを完済した後、日本国は責任を持って戦後補償を満額支払うこととする。また、債務不履行の国に対してはそこから差し引かれること。それにも増して、賠償額が多い場合は、日本国が責任を持って支払う。そして、日本国は完済された資金を新たに発生した戦後補償に充当すれば過剰な負担を新たに発生させることを防げるだろう。これによって、先の大戦のことは、今後一切、不問とすることを各国に約束させる。或いは、戦後補償条約の一項目に明記するのも一つの手段だと思われる。

第二に、戦後補償を終えた後に戦犯と呼ばれている人たちの名誉回復を国会にて行う。戦後半世紀が経ち“罪を憎んで人を憎まず”の精神で、名誉回復を行う。もちろん、これは戦争を肯定するものではなく、歴史に翻弄された人々の個人的な名誉を取り戻すことを目的とする。戦争そのものは罪だ、ということも国会で、そのときの首相が宣誓すること。これは、先の大戦だけでなく、日本国が今までに行った全ての戦争(例えば、日清戦争や日露戦争など)は罪深かった、と告白し、全ての国に謝罪すること。そして、過去に戦争経験のある世界中の国々の指導者たちにも反省を促す。刑罰を執行された人が、その後も犯罪者として扱われるのは、そもそもおかしい。刑期を全うした人は一個人として扱われるべきであり、社会はそれを受け入れる必要もあると思われる。

上記のことが容易ではないことは承知している。しかし、この問題は引き続き議論していかなければ、解決に向かわないのもまた事実である。既述したように政府は、早急に改善策を考えるべきである。新たな慰霊碑建設などの案も出されているようではあるが、本当に慰霊をする気があるのであれば、先ずは、靖国問題を解決するべきではないだろうか。それが、日本のために死んでいった人達に対する感謝の気持ちであり、礼であると考える。そして、靖国問題が解決され、みんなが快く靖国神社を訪れることが出来るようになったとき、はじめて数百万の霊魂は報われるのではないだろうか。

2001年9月執筆

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