論文・著作

神の盾Aegis 
−1− イージス護衛艦派遣決定

2002年12月執筆

12月16日、海上自衛隊のイージス艦「きりしま」(7250トン)が午前9時前、神奈川県横須賀市の海自・横須賀基地を出港した。

イージス艦の派遣は2001年11月、2002年5月、同11月と、活動期間の節目ごとに浮上したが、いずれも与党内の慎重論に配慮する形で見送られてきた。福田康夫官房長官は12月2日の記者会見で、テロ対策支援法に基づく最新鋭護衛艦のイージス艦の派遣について「せっかく持っている艦船なので有効活用することは国益にかなう」と前向きな考えを表明した。小泉純一郎首相も同日、記者団に「必要があれば状況を見ながら検討する」と語った。防衛庁は現在派遣中の護衛艦からイージス艦に年内にも代え、派遣したい意向だった。福田長官は「可能性は常に検討しているが、決定するようなことはまだない」と判断の時期については明言を避けた。今回、政府がより積極的な姿勢を見せた背景には、同艦をめぐる政治的なハードルが低くなってきたとの判断があったようだ。

イージス艦の派遣をめぐっては従来、集団的自衛権の行使に抵触するという論議が「政治的障壁」になってきた。同艦は高度な情報収集能力を持つため、自衛隊と米軍が情報の共有によって事実上一体化し、憲法が禁じていると政府が解釈してきた集団的自衛権の行使につながるとの反対論を生み出した。しかし、福田長官はイージス艦派遣が集団的自衛権行使を禁じた憲法に違反するとの指摘に「集団的自衛権といえば(情報共有機能を持つ)今の護衛艦だって派遣した場合でも、その気になれば集団的自衛権(行使の事態)は発生する。しかし(集団的自衛権は)使わないことになっている」と反論した。与党内の空気についても「(憲法で)決めた以上のことをやるという誤解もあるが、そう考えている人も減ってきた」と集団的自衛権の行使には抵触しない形とする考えを示した。

山崎拓自民党幹事長は12月2日の記者会見で、派遣による集団的自衛権行使の問題をクリアできるのかと聞かれ「集団的自衛権とは関係ない。間違った解釈だ」と憲法問題は生じないとの考えを示した。福田氏や山崎氏の発言には、与党の同意取り付けが可能との読みがうかがえた。 石破茂防衛庁長官は3日の閣議後の会見で、インド洋へのイージス艦派遣について「司令部機能を有している護衛艦は(イージス艦以外に)4隻しかなく、1隻は修理に入っている。3隻でローテーションを回していくことは、相当厳しい。また、テロの兆候を早く把握し、任務遂行を安全に行う意味でも、イージス艦の探知能力は優れている」と述べ、派遣の必要性を改めて強調した。政府は12月4日、テロ対策支援法に基づくアフガニスタンでの対テロ戦の後方支援として、海上自衛隊の最新鋭護衛艦イージス艦をインド洋に派遣する方針を決めた。小泉首相と石破長官が12月4日、首相官邸で詰めの協議を行い、首相がイージス艦派遣を決断した。政府は5日、アフガニスタンでの対テロ戦の後方支援としてインド洋に派遣するイージス護衛艦を、海上自衛隊横須賀基地の「きりしま」に決定した。

防衛庁は派遣理由について、(1)イージス艦4隻を加えることで司令部機能を持つ護衛艦が8隻になり、派遣ローテーションが柔軟になる(2)高いレーダー捜索能力、情報処理能力を活用して部隊の安全が確保できる(3)居住性が向上し、隊員の負担を軽減できる――などの理由を挙げた。 イージス艦の高い情報収集・分析能力と米軍との情報共有機能は、集団的自衛権の行使に抵触するとの懸念が与党内にもあり、イージス艦派遣を見送る要因になってきたが、石破長官は記者会見で「一般的な情報提供と情報共有は集団的自衛権(行使)に抵触しない」と説明した。

イージス艦の派遣を決定しても、インド洋に着くまでには2〜3週間程度かかる。このため、政府は年内の派遣決定を目指し、2003年1月にも予想される米軍の対イラク攻撃を間接支援しようとしているとの見方をよく見聞きする。つまり、米国のイラク攻撃の可能性が強まる中、日本がイージス艦を派遣することによって米艦艇がペルシャ湾に移動して手薄になるアラビア海北部地域の警戒監視活動を肩代わりすることができ、イラク攻撃の「間接支援」の意味を持つ、と言うのだ。

イージス艦を調べて行くうちに「LINK11」、「LINK16」という言葉にぶつかった。それらは、焦点となっている米艦船との情報の共有を行うデータリンクシステムのことのようである。まだ、それらについて詳しく調べてはいないが、「高い情報収集能力を持つイージス艦の派遣は、米艦艇との情報共有につながり、憲法で禁じる集団的自衛権の行使に抵触するのではないか」という一連の報道は、間違っているのではないか、と思えてきた。「神の盾Aegis −2−」では、この「LINK11」と「LINK16」について詳しく報告したいと思う。

2002年12月執筆

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